三浦の散歩道 〈第60回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
「白浜」を想わせる砂浜を歩いて行きますと、今まで、岸に迫っていた山際が少し後退しているところに出ました。草木が茂って砂浜へと続いています。そのようなところに洞窟がみられました。草木を払いながら近寄って見ますと「立入り禁止」の札がついた網が張ってあります。手前の方に看板がありました。平成22年2月に、「神奈川県教育委員会」と「三浦市教育委員会」が設置したものでした。それには「神奈川県指定史跡」として、「毘沙門洞窟弥生時代住居阯群」とあり、昭和35年(1960)11月4日指定されたとあります。その説明文を、少し長いですが、全文紹介しましょう。
「これらの海蝕洞窟は、弥生時代から平安時代まで住居、墳墓として利用されたものです。この洞窟からは、おもに弥生時代の漁撈(ぎょろう)技術を物語る鉄、青銅、鹿角製の釣針、鹿角製の銛(もり)などの漁撈用具、アワビ貝で作った貝包丁(ほうちょう)などの農耕用具、腕輪やかざり棒などの装身具類が出土しています。当時の人たちがこれらの漁撈用具などを使用し、取った貝や魚、また獣類の骨も多量出土して、出土遺物は種類、数量ともに豊富で当時の生活を知るうえで貴重な遺跡です。さらに、鹿の骨を焼いて吉凶を占った「卜骨(ぼくこつ)」が出土した遺跡として知られています。なお、弥生時代から平安時代にかけて、とくに平安時代には墓地として使われたようで、埋葬された人骨も発見されています」とあります。なお、文中のルビは筆子がつけたものです。説明板の左下には「卜骨」の写真もついています。
他の文献によりますと、この付近の海岸を「南りっぱの浜」と呼ばれているところで、近くの崖地に四つの海蝕洞穴があって、西側からA、B,C,D洞穴と言われ、中でもC洞穴が最も大きく、入口は幅11m、奥行は約20mほどあるという。最も小さいD洞穴でも入口の幅は5m、奥行は8mというのです。
山際の岸辺を通って、毘沙門港へと向かいましたが、その磯道は用心が必要な道程でした。満潮時や高波のときは特に注意して通らねばならないようです。ようやく前方が開け、大きく入り込んだ入江が眺望できました。海に面して、「毘沙門バイパス」の広い道が、港を回るような形で宮川方面へ登りながら続いています。岸際には海鳥の群がゆったりと波に揺(ゆ)られている風景も目に入ります。毘沙門児童公園の隣り、漁協の裏手に真新しい鳥居が見られます。「龍宮神社」です。立派な石造りの祠があります。
道中の無事を祈願して、来た道を戻り、急な坂道を上がって、路線バスの通る県道215号線へ向かいます。
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