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三浦の散歩道 〈第61回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

掲載号:2014年4月18日号

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旧児童館前の庚申塔
旧児童館前の庚申塔

 バス停「毘沙門」の手前に、かつて、児童会館がありました。現在では表札をはずしています。周囲は墓地になっています。その前面、道路側に二基の庚申塔と馬頭観音の石塔が二基見られます。そのうち、大型の板碑型の庚申塔は寛文8年(1668)に造立されたもので、三猿は前面にしっかりと見られるのですが碑面の文字は磨滅していて読めません。ただ、『神奈川の石仏』(松村雄介著)の中に次のように書かれています。「相州三浦郡毘沙門村衆等三十七数毎年六度庚申為避三彭仇各抽丹心摂会修善鶏鳴為明今当結局之辰修造一本之石打一心所(相州三浦郡毘沙門村の住民三七人は、毎年六度ある庚申の夜、三彭の仇を避けるため、それぞれ誠意をもって集まり、鶏が鳴いて夜が明けるまで行事を修めてきた。いま結願のときにあたり、石塔一基を造立して信仰を表明するものである)」とあります。

 さらに、「この塔には偈頌(げじゅ)(筆子注「仏の力をほめたたえた経文で五字、七字を一句とする韻文体で、頌をしょうとも読む)に類する七言の詩が記され、『永年特別の願いごとがあって庚申の行事を行ってきたが、今日結縁に到り、果因(三彭)を滅ぼすことができた。石塔の建立も無事に終わったので、これで子孫の繁栄があらたに約束されるだろう』といった意味のことが述べてある」とも書かれています。ここにでてくる「三彭(さんぼう)」は「三姑(さんこ)」のことで、「道家の説で、人の体内にいて害をなすという三つの虫で「三尸(さんし)」とも呼ばれるものです。この虫は人間の命を縮(ちぢ)めようとする鬼神ともいわれ、庚申の夜を寝ないで過ごせば、三尸は滅んで長命を得ることができるというのです。(この「三浦の散歩道」第33回を参照)江戸時代の末、文化9年(1812)に書かれた『三浦古尋録』に、村の戸数七十三戸とありますから、村人の多くが「庚申」信仰に関わっていたのでしょう。

 もう一つの庚申塔は「青面金剛像」を刻された寛政12年(1800)のものです。道を進むと、商店の先に寺の山門が見えてきます。その参道の入口と思われるところに三基の「巡拝塔」があります。古い順に、明和5年(1768)「扶桑(ふそう)」(東海の日の出る所にあると言われる大きな神木、また、その木のある所から、日の出(いづ)る国、日本の別名)と書かれた「六十六部供養塔」。さらに、文政5年(1822)「西国秩父四国坂東霊場供養塔」で、「当村鈴木利右衛門建之」とあります。

 もう一つは、嘉永5年(1852)のもので、「皇国六十余州の神社仏閣」に礼することと国土の安穏を願う」もので、台座に「当所 六郎左衛門 六十六才」の文字が見えます。

つづく

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