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東日本大震災 ふるさと福島を追われて 褪せぬ記憶と望郷の念を聞く

社会

掲載号:2021年3月5日号

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生前の松本さんと、浪江町の自宅跡
生前の松本さんと、浪江町の自宅跡

 未曾有の被害をもたらした東日本大震災の発生から、今月11日で10年を迎える。震災後、被災地からの自主避難者を受け入れていた三浦市。その中には、福島第一原発事故で居住地を追われた被災者もいた。地震、津波に加えて放射能汚染や風評被害など、「原子力災害」を経験した人たちのこれまでを取材した。

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恋し浪江、短歌にのせて故・松本文男さん

 故郷を津波と放射能によって突然奪われた戸惑いと悲嘆、再び戻ることができないもどかしさや悔しさ、望郷の念など、心の叫びを短歌に昇華していた松本文男さん。2017年7月に95歳でこの世を去るまで、「生きた証を残したい」と歌集制作に意欲を燃やし、亡き後は遺志を継いだ孫の智之さんが同年9月に歌集「繭の匂ひ」を発行した。大きく分けて還暦・古希・傘寿・卒寿の4部(上下巻)で構成され、そのうち震災を題材にした歌は、約150首収録。経年しても町と人の心に、深く残り続ける爪痕を雄弁に物語っている。

 松本さんは浪江町出身。地元の農業高校入学後、正岡子規に感銘を受けて短歌を始め、戦後は米作りに精を出しながら、妻・ミエ子さんとの日々や豊作凶作の悲喜、神事、鮭が遡上する様子などを詠んでいた。

 その穏やかで何気ない日常を一変させた震災。自宅にいた2人は隣人の軽トラックで高台へ向かった。その日のことを「なによりも生命大事と叱咤され隣家の車に津波を逃がる」「津波見てたしかめて来し若者が村に一つの屋根なしと言ふ」と残し、わずか31音に緊迫した空気を閉じ込めた。海から800mの自宅は瞬く間に濁流に押し流され、三浦から安否を気遣っていたという智之さんは「連絡がつかず、もうダメだと思った」と振り返る。実際、離れた海沿いの地区に住んでいた甥家族は津波の犠牲となり、松本さんは後に一家の骨壺を前にした時の無念さを幾首も詠んでいる。

 命からがら避難した先に待っていたのは、原発事故による大量の放射性物質放出の一報だった。自宅のあった場所は、第一原発から直線距離で約7Km。震災翌日には半径10Km圏内に避難指示が出され、時間とともに広がっていく避難区域と見えない放射能の影に追い立てられるように、転々と知人や親戚宅に身を寄せていた。

 「ひたむきに核逃れ来て棲みつきしこの地なれどもふる里恋し」。発生から2週間後、智之さんらの迎えで三浦へ避難。衣食住を確保し、余震や放射能の恐怖からひとまずは離れたが、晩年まで浪江の町を思い続けていたという。

 13年に妻が他界。翌年、一時帰宅許可が下りた際、納骨のため震災後初めて故郷の土を踏んだが、それが自身にとっても最後の帰郷となった。

 歌集の制作について「最期まで少年のような純粋さを持ち、短歌を詠んでいた。美しい所だけでなく、原発も含めて祖父の故郷だったのでは」と智之さんは話した。

 歌集は市図書館本館に配架されている。

「忘れられない記憶」菅野光喜さん

 上宮田在住の菅野光喜さんは、福島県伊達市出身。山間にある霊山町の農家に生まれた。一度は神奈川県で就職するも、後継として故郷に戻り、両親とともに果物栽培や稲作をしていた。

 震災当日、菅野さんは作業小屋にいた。携帯の地震速報が鳴った直後、震度6弱の強烈な揺れに襲われた。立っていられず、窓は勝手に開く。「まるでマッチ箱を誰かが振っているような揺れだった」

 建物が崩壊すると思い、ビニールハウスへ逃げ込んだ。ラジオから助けを求める声や救助活動の様子を聞き、状況を把握した。5分おきの揺れが収まってきたのは夜。ビニールハウスの中に布団を敷いたがその日は冷え、眠れなかった。

 その後、1カ月も経たないうちに、自転車で知り合いのいる相馬市へ行った。相馬市は海岸沿いに面し、津波の甚大な被害を受けた場所。美しかった松林の面影はなにもなかったという。落ちていた剥き出しの針金が、倒れてコンクリートを剥がされた電信柱だとわかった時に、「生きている人はいない」と思った。親しくしていた友人の行方は、今もわからないままだ。

 地震は、その後の生活に大きな影響を与えた。伊達市は原発事故で高濃度の放射能に汚染され、計画的避難区域に指定された飯館村の隣町。第一原発からおよそ50Km北西に位置しており、風評被害が重くのしかかると、それまで1パック300円前後で販売していた苺が、20円にまで値下がったという。

 また、名産品だった「あんぽ柿」は出荷ができなくなり、多くの知り合いが大事に育ててきた柿の木を切った。「このまま借金を増やしながら農業を続ける気にはなれなかった」と菅野さんは、福島を出ることを決め、被災者の避難を受けて入れていた三浦市へ居を移した。「何も悪いことをしたわけじゃない。ただ残念。故郷を捨てたという思いは常にどこかにある」

 風化する普段の記憶とは違い、「忘れようと思っても忘れられない」と菅野さんは呟く。現在は、横浜市鶴見区の入船公園で所長として勤務しており、今でも「自分にできることを」と、様々な場で当時の体験を伝えるようにしている。「いつ死ぬか分からない。今日をどう楽しく生きるかを考えたい」。故郷への思いを胸に秘めながら、前を向いた。

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