逗子の景観まちづくり瓦版 第六号
生活者のにおいに満ちた小坪漁港喜多 哲正
徳富蘆花の「自然と人生」で語られた逗子は、平地に田園風景が広がり海岸には漁師が生活の糧とした漁船と網があった。それはとてつもなく古の事象に思えるが、実は僅か百十年前の風物に過ぎない。
私たちが東京のお台場に行って寒々とした虚脱感に襲われるのは、人々の営みが醸し出すにおいが途絶しているからである。
それとは逆に逗子に帰って安らぎと落ち着きを取り戻すのは、逗子が低い稜線の山並みや相模湾の波濤に囲まれた自然に恵まれているだけではない。徳富蘆花が描いた時代からその地で生産し生き続けた人々の体臭がたとえ微かではあってもそこはかとなくにおってくるからである。
その象徴としてあるのが小坪の漁港である。逗子海岸という時すぐに思い浮かべる海水浴やサーフィンの姿はかけらも窺えない。あるのはやがて出航しようとする漁船と低い屋並みにひっそり過ごしているだろう人々を彷彿させる窓だけである。これこそが古くから受け継いできた逗子の貴重な風景遺産に他ならない。
この絵の作者は小坪に来て、だれもが絵柄として組み込みそうな眼前に立ち並ぶ逗子マリーナには目もくれなかった。
なぜだろう、それは視界を遮る建造物が時として人間精神の尊厳を冒すのを自覚していたからである。
逗子はまだ豊潤な風物に満ちている。この絵を描くことで、彼はそう言いたかったに違いない。
瓦版第6号平成25年
2月14日発行より転載
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