逗子にあった「味の素」編 ちょっと昔の逗子〈第1回〉 初代三郎助とナカ
児童文学作家・野村昇司さんにご協力いただき、明治から昭和にかけての街の様子や市井の人々の生活を史実に基づいて蘇らせます。第一弾は「逗子にあった『味の素』編」。語り継ぎたい、逗子の創作民話です。
舞台は1852年、三浦郡豊島村(現在の横須賀市)。忠七は穀物問屋の石渡家に奉公に出ていた。忠七の積極的な仕事ぶりに石渡家は絶大な信頼を持ち、ほとんどすべての仕事を任せていた。12歳から15年にわたる奉公は石渡家親子2代に仕え、利益をもたらしていた。
忠七26歳の時、主人の許しを得て郷里の葉山堀之内に穀物と酒の販売店を持たせてもらった。その年、忠七は三浦郡秋谷の素封家高山半兵衛の長女ナカ(20歳)と結婚。翌年には長男泰助(のちの2代目鈴木三郎助)が誕生し、その後もコウ、マス、忠治と2男2女に恵まれた。家業も順調に繁栄し、財産を築き上げた。
ただ、1875年10月、4歳になっていた次女のマスが流行のチフスにかかり命を落とす。彼女をとりわけ溺愛していた忠七も、マスを追うように12月、チフスを患い急逝してしまう。
夫と娘を立て続けに亡くしたナカは懸命に家業に励み、9歳になった長男・泰助に2代目三郎助を襲名させ、3人の子どもにこう言った。「おん身たちは早く父上に別れて不幸な児だ。しかし、お母さんが父に代わっておん身たちをこれからしっかりと教育する覚悟をしている。おん身たちはこの母を父上だと思っていいつけに背いてはならぬ」。
そして抱きかかえていた次男の忠治に「忠ちゃんもそうだよ。お父さんはいないが、お母さんがその代わりだよ。大きくなって、えらくおなりよ」と言ったのだった。
野村昇司
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