東京を代表する書店「青山ブックセンター」(以下ABC)の六本木店が6月25日に閉店することを発表し、大きなニュースになった。インターネット上には閉店を惜しむ声が多く寄せられている。このニュースを特別な思いで聞いた人が逗子市にもいる。同社の創立メンバーの1人で、商品部長として立ち上げや運営に携わった野口克世さん(小坪在住・68)だ。
野口さんは1949年、福島県生まれ。高校を卒業後、様々な職を経験し、26歳の時に鎌倉市にある松林堂書店で働き始めた。「元々本が好きで、鎌倉文士に憧れて。それまで何をやっても長続きしなかったが、今回は性に合った。本屋の仕事の多くは肉体労働。ごまかしのきかない一方、充実感も大きかった」と振り返る。
79年、30歳の時に書店員としての経験を買われ、設立されたばかりの青山ブックセンターの一員に。大井町にあった最初の店舗はたった20坪で、スタッフも数人しかいなかったという。
知や文化の発信地
1980年に六本木店を立ち上げ、商品構成や店舗作りなど一手に担った。「会社とは喧嘩もしたが、経験者ということで好きにさせてもらいました」と笑う。
ポリシーは各分野の第一線で活躍する人の興味関心を刺激し、次の発想や創作に繋がるような店づくり。当時はまだインターネットが発達していない時代。洋書の買付のために渡米し、ニューヨーク中の書店を巡っていた時期もあった。「本棚に自分の知っているものだけを並べてもだめ。常にアンテナを高く張って、お客さんの反応や世の中の動きを感じながら本を並べていくと『有機的な動き』をするようになる。そんな本棚を目指していた」
こうした積み重ねが知識や文化、流行の発信地としての地位を確立。学者やアーティスト、クリエイターなど感度の高い層から絶対的な支持を集めるようになった。
ニーズに応える
作家との距離が近い店としても知られた。駆け出しの頃の林真理子さんが自分の本を持って来たときは、その場でスペースを作り置いたという。またトークイベントなど作家と読者をつなげる場作りも積極的に行った。
2000年代には営業時間を午前10時から早朝5時までにし、「朝まで営業している書店」として親しまれた。「理由は単純で、午後10時閉店だと会計の列が終わらなかったから。六本木という土地柄、仕事終わりに寄ってくれる人も多かったんです」。来店客が今、何を求めているのか。それに応えた結果だった。
書店の将来は
六本木店の閉店に伴い、かつて首都圏に7店舗あったABCは表参道の本店のみとなる。「本を取り巻く環境が激変するなか、アメリカで生き残っている独立系の書店はそれぞれに個性があり、しっかりとお客さんもついている。利便性の中で勝負するのではなく、お客さんとの信頼関係を作れるかがポイントだと思う」。
そんな野口さんは現在、鎌倉市長谷でコーヒースタンド「イドバタ」を営んでいる。近所の人から外国人観光客まで幅広い客層が特徴で、仕事の合間や観光の休憩に立ち寄り、こだわりのコーヒーに一息つく。その傍らにはもちろん、本が並んでいる。
「本屋は思いもよらない出会いで自分の世界が変わってしまうような、可能性に満ちた場所。そこに携われたのは本当に楽しかったし、人生の財産になっている。これからも、体が元気なうちは続けていきたいね」と笑顔で語った。
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