「みんなで創る藤沢の会」市政への提案【3】 意見広告 みんなに優しい藤沢を目指そう
「郷土愛あふれる藤沢」ってなに?
元旦号から始まりました、「みんなで創る藤沢の会」が市政に対して働きかけをしていく5つの提案。今回は防災に関する提案【4】の前に、提案【5】の「高齢者や立場の弱い人も安心して住める『郷土愛あふれる藤沢』を目指します」という項目についてお話ししましょう。
いきなり『郷土愛あふれる藤沢』と言われても、ピンと来ないかもしれません。私たちのイメージにあるのは、昔ながらの助け合いの心がある情景、子どもやお年寄り、立場の弱い人々に自然と手が差しのべられ、そこから「自分の住んでいる地域が好き」という感情が生まれ、愛する気持ちにあふれた藤沢になっていくという姿です。
昔の日本ではそういう光景が多く見られました。しかし今、そういった話をあまり聞かないのは何故でしょう。一つには、昔ほど人々が代々同じ場所に住み続けなくなったり、藤沢という街の中にも、昔から住んでいる人と新しく移り住んできた人がいて、その人々の間に交流が少ない事もあります。あるいは核家族化もその要因でしょう。
しかしその本質を、表向きの姿に惑わされないで見ると、多くの場合、人と人が交わる機会が少なくなった事に行き着きます。
これは私見なのですが、昨今、子どもや若者らが突然命を絶ってしまったり、年輩の方の孤独死の話を多く聞きますが、それはそれぞれの人が身を置くべきコミュニティを損失したが故に起こった悲しい出来事と見るべきだと思います。
コミュニティの必要性
子どもたちの場合、昔であれば「父母の子である自分」「祖父母の孫である自分」「ご近所さんの自分」「町内会、子ども会の自分」「習いごとの仲間の自分」「学校の中の自分」といった、複数のコミュニティを持っていました。そうすると、たとえ学校でいじめにあってその存在が危うくなっても「別のコミュニティの中で居場所を見つけられるから大丈夫」と切り替える事が出来ました。
しかし今は家庭が核家族化して、地域との絆も薄れ、父母の子どもである自分と学校の中の自分しかなく、その上で親との関係が良好でない時に学校の中で存在を否定されると、自分の生きるコミュニティをほとんど失ってしまい、絶望に陥ってしまうのです。
これは子どもたちだけに限った話ではありません。一人暮らしの若者や年輩者だってそうですし、すべての弱者に当てはまる事です。そして本来ならば行政はこの問題点に早々に気づき、もっとコミュニティを再生する事に手厚く取り組むべきだったのです。
コミュニティの再生
私たちは、障がい者や立場の弱い人、あるいは若者や高齢者の問題まで、すべてを別々に対応するべきではないと考えます。
人が手を差しのべるかどうかは、まず自分の知り合いや友だちであるかどうかだと考えます。そのためにより多くの人の生活の動線を束ね、より多くの人が知り合えるように小学校学区単位での交流スペースの整備を行い、ここに「心の相談室」を併設し、放課後こども教室や生涯学習、図書館分室、地域の行事の会合、町内会やボランティアが開催する習いごとなどの拠点として活用してもらい、人々が足繁くここに集うことで、自然と新しい地域コミュニティを作り上げ、私たちの世代なりの『郷土愛あふれる藤沢』を作り上げて欲しいと思います。
これに施策を加えればより効果が望めるはずです。
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