「歴史と文化のまち」として発展してきた鵠沼地区の歩みを20年来、企画展示を通じて市民に伝え続けている団体がある。鵠沼郷土展示室運営委員のメンバーらだ。このほど、組織の立ち上げから携わり、「展示室の生き字引」として組織をけん引してきた内藤喜嗣さん(88)が運営委員長を勇退し、新たな組織体制が3月からスタートした。世代交代後、地域の歴史研究で得た知的財産をどう後世に残すか。現在同会が進める取り組みは、郷土史の伝承に通底する課題でもある。
同展示室は鵠沼市民センター新館の完成に合わせ、2003年12月に開設。ボランティアが運営する公設市民運営の文化施設として歴史を重ねてきた。
鵠沼が生んだ世界的画家・長谷川路可、海浜リゾートとしての変遷、かつて文人や芸術家が逗留した東屋旅館、サーフィンとビーチスポーツ。年1回の企画展では幅広いテーマを取り上げ、来場者に学びを提供してきた。そんな展示室の”顔”の一人が、長年郷土史を研究してきた内藤さんだ。
毎回の企画展は全て手作り。テーマごとに歴史を掘り下げ、写真や地図を交えて作成した資料を壁に貼り出す。
内藤さんは郷土研究グループ「鵠沼を語る会」にも所属。同メンバーで郷土史家だった塩沢務さんが昭和30年代に他界した際には遺族の了解を得て資料群「塩沢文庫」の引き取りと資料の買い戻しに尽力。その後も関係者から預かった資料は増え続け、保管する本棚の資料数は1万点以上にもなった。
長年副委員長として運営に携わってきたが、2年前に委員長だった中島知子さんが高齢で退任し、委員長に就任。企画展の準備に奔走する熱量は相変わらずだったが、昨年の春、展示中に脚立から落下し、3カ月の入院を要する大けがを負った。
無事復帰はできたが、活動を後世に残すため、一線から退くことを決意。副委員長だった柳田敏雄さん(79)にバトンを渡した。柳田さんは「内藤さんは展示室にとって生き字引のような存在。蓄積された知識や資料をどう残していくかが一番の課題」と話す。
郷土史を後世に残すため、写真や地図、これまでの企画展で使用した資料をウェブ上で保管する「クラウド化」も数年前から始めた。内藤さんは今後も顧問として会に残る。
「気になることを馬鹿みたいに片っ端から調べてきた。ここでの活動は私の生きがいですよ」。そう言ってほほ笑んだ。
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同展示室では現在、企画展「藤沢市・マイアミビーチ市 姉妹都市提携65周年記念」を開催している。観覧無料。午前10時から午後4時。月曜休館。