8月15日は終戦記念日。73年前の戦火を後世に語り継ごうと4日、「あの戦争を忘れない」と題した講演会が善行公民館で開かれた。第1部で登壇したのは、鵠沼郷土資料展示室運営委員長の中島知子さん(88)。軍国主義下で生きたかつての少女は「戦争は絶対にしてはいけないもの。今の若い人に少しでも伝えたい」と切に願う。
横浜大空襲経験「戦争は人を駄目にする」
1945年5月29日。この日の記憶は今も鮮明に覚えている。
当時横浜で母と暮らし、15歳で女学校に通っていた中島さん。この日は朝、自宅を出る支度をしていると空襲警報が鳴った。終戦間際、空襲警報が鳴るのは珍しくなく、「今日も学校休みかな」と思った刹那、地響きに似た轟音が耳をつんざいた。
「空襲はここだ」。そう直感し、逃げようと外に出ると何かが空を埋め尽くしている。襲来したB29だった。
「絶対に生き残ってお母さんに会うんだ」。焼夷弾で次々とあがる火の手を避け、一人無我夢中で逃げた。しばらくして空襲が止み、丘の上から横浜の街並みを見渡すと言葉を失った。
眼下は木1本すらない一面の焼野原に変わり果てていた。帰り道には焼死体が累々と横たわり、嗅いだことのない異臭が鼻をつく。まるで地獄のようだった。
「国の力、恐ろしい」
73年を経て思うのは、軍国主義の恐ろしさだ。国のために尽くして当然。学校でも疑問を呈することは禁じられ、我をなくして忠誠を尽くすことを叩きこまれる。
自身も国の言うことは疑いなく全て信じた。「今考えると馬鹿馬鹿しいけど、あんな光景を見てもなお、『神風が吹いて日本は勝つ』と本気で信じていた」と振り返る。
「恐ろしいよ、国の力って」
あの日、幸いにも自分は生き残った。正直、戦争のことは今も思い出したくはない。でも、80歳を過ぎ、数年前から使命感に駆られるようになった。「戦争は国ではなく、子どもから大人まで、人間を駄目にする。絶対してはいけないんだと伝えなければ」
戦争は体験した者にしか分からない悲惨さがある。それでも「想像だけでもしてほしい。ひとり一人が戦争をしないという気持ちを持てば、それが大きな流れになるはずだから」
米寿を迎え、あとどれだけ活動ができるかは分からないが、語り部としての活動は、機会があれば今後も続けていくつもりだ。
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