鎌倉市には6月1日現在で、東日本大震災の被災者が33世帯59人避難している。市内受け入れ先の一つ、手広雇用促進住宅(市内手広5の3)に入居する被災者に震災のことや現在の生活について聞いた。
市域の約半分が福島第一原子力発電所から10キロメートル圏内となっている福島県南相馬市。そこから避難してきた阿部美由紀さん(48)は、先月11日に鎌倉市へ。
震災にあったものの津波の影響はなく、1カ月ほど同市で生活していたという。しかし、営業する食料品店などが近くになく、交通も麻ひ状態で「生活できる状況ではなかった」。避難を決めたのは、治安の悪化だという。「人気が少なくなり、泥棒や不審者が怖くて部屋の電気をつけるのも躊躇(ちゅうちょ)した」と振り返る。また、警察に相談しても、避難を勧められたという。
以前、横浜市内で働いていた経験から4月24日に横浜の避難所に身を寄せた。いずれ戻れるという期待から、所持品は銀行のカードや印鑑、着替えなど最小限だったという。その後、鎌倉市の住宅提供情報を見つけ、申し込んだ。「母が鎌倉生まれということもあり、親近感があった」と話す。「避難したくないが、生きていくためには仕方がない。自分で動かなきゃだめですね」と話した。
原発の煙突が見えたという福島県双葉町に住んでいた池羽淑夫さん(71)は、地震発生間もない3月19日に夫婦で鎌倉市に避難した。10年ほど前まで鎌倉に住んでいた縁からだ。池羽さんは「田舎暮らしをしようと思って故郷に戻った」と話すが、「今や立ち入り禁止で、一時帰宅も叶わない」と淡々と語った。
両者に今後の生活について聞くと、阿部さんは「仕事はいずれしなきゃならないけれど、今はゆっくりとしたい」と話す。池羽さんは、「戻れる希望はない」として鎌倉市に住民票を移し、鎌倉で生活することを決めた。「双葉町の家土地を買い取ってもらいたいくらいだ」と思いを語った。
手広雇用促進住宅には、6月1日現在で被災者12世帯27人が生活する。同地区の民生委員、元川雅通さん(66)ら地元住民が、知り合いから譲り受けた冷蔵庫やテレビなど被災者が必要とする物資を提供し、被災者の支えとなっている。
市内避難者への物資提供については、【電話】0467(23)3000市市民活動課消費生活担当まで。
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