市内大町在住の森田創さん(40)がこのほど、初の著作『洲崎(すさき)球場のポール際』(講談社)を出版した。戦前、プロ野球誕生とともに建設され、沢村栄治らスター選手の活躍の舞台となりながら、球史から消えていた「幻の球場」にスポットを当てた同作。森田さんは「球場の歴史を通じて、プロ野球創設に関わった人々の思いや時代についても知ってもらえれば」と話す。
謎のオンボロ球場
洲崎球場は1936(昭和11)年、現在の江東区、地下鉄東西線東陽町駅近くに完成した。同年開幕したプロ野球「大東京軍」(ベイスターズの前身)の本拠地として、親会社の国民新聞(東京新聞の前身の一つ)が建設したものだったが、51日間の突貫工事で建てられたためスタンドは粗末な木造、埋立地でグラウンドの水はけは悪く、満潮になると外野には海水が押し寄せた。まさに「オンボロ」の形容がふさわしいこの球場だが、初代王者を決める「巨人・阪神戦」が開催されるなど、現在に至るプロ野球発展の第一歩が記される舞台となった。
しかし翌年には後楽園球場が完成したため、プロの試合が行われたのはわずか1年7カ月。その後、いつごろ解体されたのかさえ、わかっていなかった。
時代、人にも迫る
著者の森田さんが洲崎球場を調べ始めたのは、昨年初めごろ。普段は大手鉄道会社の社員として働く森田さんは、数年間携わってきた商業ビル開発の仕事がひと段落し「何か新しいことに取り組みたい」と考えていたという。そんな時、思い出したのが野球少年だった中学生時代に読んだ『プロ野球三国志』に描かれた「幻の球場」だった。
調べるとすぐに壁にぶつかった。ネットはもちろん野球殿堂博物館、新聞社、地元自治体や警察などにも「全く情報がない」。しかし「かえって知りたいという欲求に火が付いた」という森田さんは、神保町の古書店を巡って1938(昭和13)年の地図に洲崎球場の姿を発見。休日になると国会図書館に向かい当時の新聞を読み漁った。さらに新聞記事などから縮尺を割り出し、建築士の友人とともに200分の1の模型として復元させた。
当初は「資料や復元模型の展示会を開催できれば」と考えていたが、知人の新聞記者に話したところ「絶対に本にまとめた方がいい」とアドバイスされ一念発起。洲崎球場でのプレー経験もある川上哲治さんには亡くなる直前に親族を通して取材し、「球場で試合を見たことがある」という人がいれば直接訪ね、観客やスタンドの様子にも迫った。
「タイトルは自然と浮かんだ」という森田さん。当時は戦争の足音が近づく一方、都市は好景気に沸き、社会に活気が満ちていた。「選手たちも『いずれ戦地に行くかもしれない』という思いを抱きながら、野球に打ち込んでいた。洲崎球場を調べるうち、日本そのものがホームランとファウルを分けるポール際に差しかかっていた時代が見えてきた」と話す。今後は「戦争に翻弄された野球人の姿をもう一冊書く」ことが目標だ。『洲崎球場のポール際』は講談社より1500円(税別)で発売中。
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