鎌倉のとっておき〈第15回〉 鎌倉と京都
日本文化を一番感じられる場所といえば、京都を想像される方が多いであろう。伝統文化を今に伝える特別な場所である。
その京都の文化発展に深いかかわりを持った天皇の一人に後水尾天皇がいる。後水尾天皇は江戸時代のはじめに生きた天皇で、その時代には琳派などが活躍した寛永文化が花開いた。晩年には谷川を堰き止めた人工池と3つの離宮からなる日本を代表する庭園「修学院離宮」を造営するなど、後の日本文化に大きな影響を与えた。
そんな後水尾の上皇時代の扁額が、市内に現存する唯一の尼寺として知られる英勝寺(扇ガ谷)の山門にあるのをご存じだろうか。この扁額の裏書には寛永二十年の記載があり、後水尾が四十八歳の時に書かれたものである(本物は鎌倉国宝館所蔵で、山門にはレプリカが飾られている)。
なぜ後水尾の扁額が英勝寺にあるかというと、同寺を開いた英勝院の1周忌に、水戸藩徳川頼房の長男・徳川頼重が山門を寄進したためである。頼重は母が正室ではなかったため隠し子として育ったが、後に英勝院の執り成しで江戸に帰府がかなったという経歴を持つ。貴人の筆を賜り英勝院の厚恩に報いたい思いがあったのであろう。
ちなみに英勝寺は水戸御殿といわれ、水戸藩の姫君が代々住職となるなど、江戸時代を通じて水戸藩と深いかかわりを保った。そのため寺は繁栄し、今も当時の建築を伝え、国の重要文化財指定も多く有しその文化を今に伝えている。
このように鎌倉には、京都と深いかかわりを持った人物・寺社に意外なところでふれることがある。これも鎌倉散策の醍醐味のひとつである。 浮田 定則
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