第2次世界大戦時に多数のユダヤ人を救ったことから「日本のシンドラー」と称される外交官・杉原千畝。晩年を鎌倉で過ごし、今も市内の墓地に眠る千畝の功績を顕彰しようと市議会は6月30日、全会一致で決議を可決した。7月13日には千畝の四男・杉原伸生(のぶき)さんが議会を訪れ、中澤克之議長がその決議文を手渡した。伸生さんは「父が大好きだった鎌倉でこのような評価を頂き、喜んでいると思う」と話した。
杉原千畝は1980年に西鎌倉に移り住み、86年に亡くなった後は市内の墓地に眠っている。
今年は没後30年にあたることから、鎌倉との関係やその功績を広く知ってもらおうと、市議会は6月議会で「人道的行為を尽くされた杉原千畝さんを顕彰する決議」を全会一致で可決していた。
これを受けて、7月13日には杉原千畝の四男・杉原伸生さん(67)と妻のエシンさん(47)が鎌倉市役所を訪れた。
2人は松尾崇市長、中澤議長と懇談した後、議場に移動。市議会議員らが見守るなか、中澤議長が伸生さんに決議文を手渡した。
伸生さんは「最初はびっくりしたが、名誉なことだと思っている。鎌倉が大好きだった父も喜んでいるはず」と感想を話し、中澤議長は「これをきっかけに、その功績はもちろん、鎌倉と千畝のつながりをもっと多くの人に知っていただければ」と期待を込めた。
伸生さんは現在ベルギー在住で、宝石輸出会社を経営。年5回ほど日本を訪れ、福井県や岐阜県など、各地に残る千畝の足跡を辿っている。また、千畝が西鎌倉に暮らしていた際に残した手記の整理も続けていると言い、「今後は講演などを通じて歴史の真実を伝えていければ」と話した。
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