鎌倉のとっておき 〈第35回〉 中世鎌倉の建築材
中世鎌倉は源頼朝が幕府を開き、源家三代の後、京の都から摂家将軍、皇族の親王将軍を招いた。こうした皇族や公家の下向は将軍御所・公卿の邸宅の造成を盛んにした。さらに鎌倉新仏教、特に禅宗の興隆は寺社造営を活発にした。また御家人や商人など様々な階層の人達も集まったので、限られた場所に住宅が数多く建てられた。当時の様子を鎌倉時代の紀行文『とはずがたり』では「階段のように重なり、さながら袋の中に物がギッシリつまっているよう」と表現。鎌倉には人が密集して住んでいた様子がうかがい知れる。
このように賑やかで活気ある鎌倉の建築に関して、建築材の産地がわかる興味深い一つの古文書が残っている。一昨年国宝に指定された金沢文庫文書の金沢貞顕書状「宝寿抄」紙背文書に、「一日参入悦存候き、檜皮自何日被葺始候歟、可承存候、熊野檜皮事、其後無承旨候、大工者不申左右候乎、可承候、兼又~」とある。この書状は、金沢貞顕が、称名寺長老へ送った手紙である。内容は、「檜皮はいつから葺かれ始めるのか?」と尋ね、さらに「熊野檜皮の事は、先日以来どのようになっているのか?」と聞いている。檜皮は屋根に葺く樹皮の事で、檜皮葺は平安・鎌倉時代に広く普及したという。この書状から、遠く紀州(和歌山県)熊野から檜皮を取り寄せている事がわかる。
このように古文書は、当時の人が何気なく記した文書ではあるが、現在のわたくし達に様々な情報を与えてくれる。時に隠れた真実や驚き、楽しさを感じさせてくれる。そういったやりとりの舞台が、鎌倉には多く存在している。
浮田定則
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