鎌倉のとっておき 〈第64回〉 鎌倉の丘陵〜鎌倉石〜
三方が山に囲まれている鎌倉は、古より丘陵部の谷戸に人が生活を営み、やがて都市の発達と共に平野部にも、人が移り住むようになっていった。
丘陵部には人の生活に欠かせない水や燃料となる木々があり、暮らしを支える基があった。しかし鎌倉の丘陵部の恵みは、水や木だけに留まるものではなかった。例えば、浄明寺・十二所・二階堂・名越・極楽寺・明月谷・今泉などの山々では、「鎌倉石」と呼ばれる凝灰石が豊富に産出した。
ある古文書群の中には、江戸時代末期の今泉の石切についての規定書の写が残っており、近代以前から産業として成り立っていたことがわかる。また大藤ゆき氏の『鎌倉の民俗』によると「鎌倉石」はコンクリートが普及する以前、横浜など周辺地域へ運ばれるほど盛んに切り出され、山ノ内には石工を商売とする家が40軒ほどあったと書かれている。「鎌倉石」は採れる場所によって性質が異なったようで、浄明寺の石は軟質で、今泉の石は安山岩、明月谷の石は柔らかかったらしい。「鎌倉石」はそれぞれの特性を生かして必要な箇所に用いられたようだ。寺社の石段にも使われており、古い石の階段を見かけると、かつて鎌倉で切り出された「鎌倉石」なのかなと思う。
このように鎌倉の丘陵部は、昔は人々の暮らしを支え、今は訪れる人に癒しを与えてくれる今も昔も変わらない大切な場所である。 浮田定則
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