鎌倉のとっておき 〈第67回〉 万葉人の恋舞台
8世紀に編纂された日本最古の歌集『万葉集』は、新元号「令和」の出典で脚光を浴びたが、この中には鎌倉の地にまつわる歌も詠まれている。
始めに「鎌倉の 見越の崎の岩崩(いわくえ)の 君が悔ゆべき心は持たじ」という歌。鎌倉の見越の崎の岩が崩れるように、あなたが後悔するような心を私は持ちません、心変わりはしません、との歌だが、「見越の崎」とは稲村ヶ崎のことを言うらしい。こうした歌に詠まれる稲村ヶ崎は今と変わらぬ形状であり、人々の日常生活においても身近な存在であったことが伺える。
次に「ま愛(かな)しみ さ寝に吾(あ)は行く鎌倉の 美奈の瀬川に潮満つなむか」。愛しい人のところに夜をともにしに行こう、ただ美奈の瀬川に潮が満ちていると渡れなくなってしまう、との思いを詠んだ歌だが、この「美奈の瀬川」とは稲瀬川のことだという。現在の稲瀬川は水量もわずかだが、当時は潮の満ち干によって水量が大きく変化する川だった様子も伺える。
そして「薪樵(たきぎこ)る 鎌倉山の木垂(こだ)る木を まつと汝(な)が言わば恋ひつつや在(あ)らむ」。薪を切る鎌や鎌倉山の松の枝のように、弓なりに撓(たわ)んだ私のことを「待つ」とあなたが言ってくれたら恋し続けただろうに、との心情を詠んでおり、当時の「鎌倉山」は沢山の薪を産出する山であったに違いない。
万葉人たちが恋を詠った古都鎌倉。千二百年もの時を超えて、鎌倉は今もなお人々が恋や夢を語らうまちである。
石塚裕之
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