鎌倉のとっておき 〈第96回〉 鎌倉と御家人〜相馬氏〜
鎌倉駅西口から市役所方面に真っ直ぐ向かい、交差点を北へ進んだ寿福寺手前に八坂大神という神社がある。八坂大神は鎌倉時代初期の御家人、相馬師常が自邸の守神として勧請したことにはじまる。このことから八坂大神は別名「相馬天王」とも呼ばれている。
相馬師常は、鎌倉幕府創成期の功臣千葉常胤の次男で、下総国相馬郡の在地領主相馬氏のもとへ養子に入り相馬次郎と呼ばれた。師常は父と共に各地の合戦で活躍し、鎌倉に館を構えた。
師常は鎌倉で生涯を終え、浄光明寺のある丘陵部側面のやぐらには、墓と伝わる宝篋印塔と五輪塔が収められている(現在は落石の危険により立ち入り禁止。付近に石碑が建てられている)。
師常の子孫は、やがて所領の一つである陸奥国行方郡(福島県)に下向した。武勇に優れた相馬氏は、周辺の伊達氏・蘆名氏・佐竹氏とわたりあい、江戸時代には中村藩として幕末まで所領を守り通した。相馬氏の武勇は今に伝わる「相馬野馬追」祭りからもうかがい知れる。
「相馬野馬追」は毎年七月末に出陣式・総大将御迎、神旗争奪戦、野馬懸まで三日間にわたり執り行われる。かつて相馬氏が数多の合戦で活躍した姿を彷彿させる勇壮な祭りである。
このように鎌倉で活躍した御家人、相馬師常とその子孫は動乱の時代を生き抜き、人々の記憶に今も刻まれ続けている。
浮田定則
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