市内最古と言われる市民団体「一般財団法人鎌倉同人会」(山内静夫理事長)が1月5日に設立100周年を迎える。同会は1915(大正4)年のこの日、鎌倉の自然や歴史的遺産といった要素を活かしたまちづくりを行うことを目的に、元外交官の伯爵・陸奥廣吉らが立ち上げた。3月29日にはKKR鎌倉わかみやで記念式典を予定している。
陸奥廣吉は明治の元勲・陸奥宗光の長男として生まれた。ローマ、ロンドンに駐在し、ベルギー特命全権公使となるなど外交官としてキャリアを積んでいたが、病気で引退。療養のため1912年に現在の材木座に移住し、海浜院サナトリュームの医師・勝見正成(鎌倉医師会初代会長)の往診を受けていたという。
大正初期の鎌倉は、別荘ブームに沸き立つ反面、町民と別荘族の格差などさまざまな問題を抱えていた。鎌倉の町会議員も務めていた勝見からまちの現状を耳にしていた陸奥は「海水浴に適した海、三方山に囲まれた風光明媚な土地で気候も温暖。さらに歴史的遺産が多くあるのに、これらを活かしたまちづくりが不十分である」と仲間に呼びかけ、同会を結成することになった。
勝見や洋画家の黒田清輝、元神奈川県知事の大島久満次ら10人と1914年に第1回発起人会を開会。翌年1月5日に24人の会員とともに鎌倉倶楽部(現在の東急ストアの駐車場付近)で発会式を行い、「鎌倉同人会」が誕生した。
100年後も変わらぬ信念
会に名を連ねたのは、鎌倉に関わりのある名士たち。多額の寄付などを元手に、段葛の整備と桜とツツジの植樹、鎌倉駅舎及び郵便局の改築支援、鎌倉市内旧跡の石碑建立、関東大震災被害者への薬品提供など、同会がまちのために行った社会貢献活動は多岐にわたる。
第二次世界大戦後は時代の変動を受け、会の主力は有力者・有識者から「志を同じくする鎌倉市民」に移り変わっていった。以降は文化事業を中心に実施。実朝忌俳句会や実朝顕彰歌の会、文化歴史講座、映画会の開催のほか、旧跡石碑の管理清掃などを行い、「鎌倉および市民への貢献」という伝統と精神を受け継いでいる。
第12代理事長の山内さんは「初代の陸奥氏の『このまちをより良いものにする、そのための推進力になる』という意思を胸に、次の100年に向かって誠実に歩み続けていきたい」と話した。
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