2013年の幕が明けた。大震災で途切れたイベントなどが復活し、ようやく普段通りの生活が見え始めた昨年だったが、この街に住む人々はこの60年にどのような歴史を刻んできたのか、巳年ごとに振り返る。
ようやく戦争の傷あとが消えつつあった1953(昭和28)年。この年は人口が5万人を突破し、バス路線も整備されて住宅都市としての発展がはじまった年でもあった。また、これまで陳情が行われてきた米軍による烏帽子岩とその周辺の岩礁への射撃もついに中止されることになった。
茅ヶ崎市政で初めての再選市長が誕生した1965(昭和40)年。この選挙では市議会議長らが当選無効を訴えるなど、混乱が長引くことになった。当時の国鉄茅ヶ崎駅踏切は、1日450本もの列車が往来しあかずの踏切となっていたことから、交通対策がクローズアップされた年でもあった。また、この年の暮れには長らく煤煙による健康問題を引き起こしてきた蒸気機関車がディーゼル機関車となり廃止となった。
1977(昭和52)年は、茅ヶ崎市が市制30周年を迎えた年だった。新年早々に小さな駅前広場を中心に狭い道路が入り組んだ駅南口の整備事業が発表された。駅北口では7月、名物として親しまれてきたカギサン醤油の煙突が姿を消している。人口増加に伴うゴミの急増に対処するために萩園に粗大ゴミ破砕処理施設が完成。12月には柳島の相模川左岸下水処理場での汚水処理も始まった。
元号が昭和から平成へと改まった1989(昭和64・平成元)年。この年、市の人口が20万人に達し、神奈川県下で7番目の20万都市に。5月には総工費24億円をかけた総合体育館が完成。こけら落としとして富士フイルム対NKKの男子バレーボールの試合が行われた。
21世紀のスタートとなった2001(平成13)年。茅ヶ崎高校チアリーディング部が世界大会で3位に入賞。新時代の幕開けにふさわしい明るい話題となった。アメリカで訓練中の日本人5人目の宇宙飛行士・野口総一さんが、6月に一時帰国し市内の小学校などを訪問した。10月には県内で21番目の県立都市公園、茅ヶ崎里山公園が市内芹沢に開園している。
そして2013年。昨年末の総選挙で政権も交代し、茅ヶ崎は次の時代に向け新たなスタートを切ることになる。※参考文献/茅ヶ崎クロニクル
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