神奈川県議会議員 岩本一夫の 見聞検分(けんぶんけんぶん)㊱ www.iwamoto-kazuo.biz目と耳でしっかり確かめてから、考える。
茅ヶ崎ゆかりの萬松園(ばんしょうえん)
今年は川上音二郎の生誕150周年。9月27・28日両日、高砂緑地では「音貞オッペケ祭」が開催される。 音二郎が妻の貞奴と九代目団十郎を慕って茅ヶ崎にやって来たのは明治35年、欧米興行で大成功を治めて帰国した直後。茅ヶ崎に購入した住まいは、伊藤博文によって萬松園と名付けられた。現在の高砂緑地だ。 翌年明治座で公演される「オセロ」の稽古がこの地で開始された。それは日本初のセリフ劇で、28歳の貞奴が「日本初の女優」として世に出た瞬間でもある。正に近代演劇の産声が茅ヶ崎で上がったのである。
貞奴は15歳で芸妓となり、伊藤博文や西園寺公望ら明治の元勲の贔屓に恵まれた。23歳で音二郎と結婚し、明治32年からの欧米演劇公演に加わる。「マダム貞奴」は仏蘭西で勲章を贈られるなど大きな賞賛を得た。しかし明治44年、音二郎は47歳の若さでこの世を去り、七回忌を済ませた後に貞奴は初恋の人とも言われる福澤桃介(諭吉の娘婿)の事業パートナーとして名古屋に移り、「川上絹布(株)」を立ち上げるなど、事業家としての一面を覗かせる。大正14年には川上児童楽劇園を設立し、児童演劇にも大きな貢献をしている。
昭和8年、貞奴は音二郎らを弔うため、岐阜県各務原市に貞照寺を建立、その門前に敷地1500坪という広大な別荘「萬松園」を完成させた。貞奴は音二郎と建てた茅ヶ崎の新居の名を、岐阜に残したのである。音貞の人生を受け入れた明治・大正の時代は何と懐が広かったことかと、改めて温故知新を大切に思う。
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