震災復興のチャリティー鮎釣り大会「B・1カップ」を主催する 熊谷 幸春さん 赤松町在住 64歳
鮎釣りで続ける東北支援
○…「故郷の東北を支援したい。その気持ちで続けています」。4年前に起きた東日本大震災。自分にできる支援、それが18年前に創設し現在メンバーは36人となった趣味の鮎釣り会「B・1クラブ」でチャリティー大会を主催することだった。今年から日本友釣会連盟の常任理事に就任。5回目を数える同大会は全国から友釣り愛好家が参加する。「少しずつでも、みんなの支援が東北の力になる」
○…生まれは岩手県。地元大学に進学後、強く憧れた東京へ「一度でいいから行ってみたい」と知り合いを頼り上京。そこで都会のネオンに魅せられ、飲食店で働きはじめた。30代にかけ次々と店舗を経営。鮎釣りに出会ったのはその頃だった。興味本位で店の板長の鮎釣りに同行したが、中々釣果が上がらない。業を煮やし、板長から竿を奪い見よう見真似でやってみると、次から次へと面白いように釣れた。翌日には用具一式を揃え、川へ向かった。「片っ端から鮎釣り大会に参加した。負けると悔しくて、帰路は涙が止まらなかったこともあるよ」
○…飲食店オーナーの仕事は多忙で「深夜営業で太陽を見ない生活が2カ月間続いたら『もう、ダメ』と身体が悲鳴を上げた」。店は全て後継へ譲り、新聞求人欄で見た不動産系の営業職へ30代半ばで転職。昼間に働く喜びは成績に反映し、入社1カ月でトップ営業マンとなった。その姿を見た総合建築会社の社長に40代で引き抜かれ、現在は市内赤松町の(株)秀豊ハウジングの社長として、その恩ある会社を引き継いでいる。
○…鮎釣りのホームは相模川支流の中津川。茅ヶ崎に住む理由は「顧客が多く、相模川の沿岸地域だから」とニッコリ。19歳の愛娘は前回大会で鮎釣りデビューし、初戦で初優勝を果たした。「娘と一緒の趣味は良いものだね」と目じりを下げる。社内の親睦会ではカラオケで喉を鳴らすことも。温厚で人情深い表情が、鮎も人も引き寄せるのだろう。
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