茅ヶ崎市戦没者遺族会の会長を務める 早川 敏治さん 代官町在住 89歳
兄を想い、生きる人生
○…六法全書と山積みの資料を脇に「自分なりに調べ、あの戦争について考えている」と思慮深く語る。現在488人の茅ヶ崎市戦没者遺族会は終戦の翌年に創設し、主に太平洋戦争で亡くなった人の妻とその遺児や孫で構成されている。会長に就任してから18年。「どうして戦争が起き、戦場に向かったのかを遺族は知る必要がある」。終戦の前年に兄・祐治(すけはる)さんを亡くした。戦病死だった。
○…旧小和田村に生まれ、松林尋常小(現・松林小)から旧制湘南中学(現・湘南高)を経て、淵野辺にあった陸軍兵器学校に入校。国内の兵器工場で作業をしつつ技術に必要な授業を受ける職業軍人の卵だった。応用物理学の授業では、原爆の仕組みも学んだという。「満州へ出征した兄を見ていたから、私は『日本で』という気持ちが強かった」。旧日本陸軍の防寒帽を被った兄の遺影に視線を送る。
○…8歳年上で唯一人の兄だった祐治さんは、中央大法学部へ進学。将来有望で徴兵を延期された。「交友関係の広い兄でね。箱根駅伝で学友が走ると箱根山まで行き、大勢の友人を連れて帰ってきたんだ」。卒業後は日本精工へ就職したが、近衛兵として招集された。しかし戦況が悪化し、満州・関東軍へ入隊。極寒の地・満州の衛生環境は最悪で、体調を崩し帰国後26歳で亡くなった。「骨が返ってきただけ幸せ。多くの戦没者は空の骨壷で帰郷したのですから」
○…終戦後は同校が廃校となり慶応大へ編入し、親族が経営するワインの製造会社で定年まで勤めた。退職後は小和田地区の自治会活動に精力的で、熊野神社の役員は約30年務めた。「ひ孫もいて、今は耳の遠いただのおじいさんだよ」というが、元気で言葉に活力を感じる。入れ歯は1本もなく、全て自分の歯で食べる好物は寿司。「兄の分も美味しいものを食べ、生きよう」と優しく語る視線の先には、同じく優しい目をした兄の遺影があった。
|
|
|
|
|
|
|
<PR>