広島市の平和記念公園「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんが遺した折鶴(禎子鶴)の一羽が、8月15日に茅ヶ崎市役所で開かれた「平和のつどい」の中で、遺族から県内で初めて茅ヶ崎市へ寄贈された。
寄贈のきっかけは昨夏の平和のつどいに、禎子さんの甥でシンガーソングライターの佐々木祐滋さんをゲストとして招いたことから。その際、市から平和啓発事業の委託を受けている「平和を考える茅ヶ崎市民の会実行委員会」が、祐滋さんへ鶴の寄贈を希望。今年2月に祐滋さんが服部信明市長を訪問し、禎子鶴の寄贈が決まった。
思い託す「折り鶴」
禎子さんは1945年8月6日、2歳の時に原爆の爆心地となった広島市内で被爆。10年後に白血病と診断された。家族を思いやる気持ちと病気の回復を願い、病床で飴や薬の包み紙などを使って鶴を折り続け、その数は1000羽以上に上ったが約8カ月の闘病の末、55年10月に12歳で亡くなった。
禎子さんの生涯は「サダコと折り鶴の物語」として世界中に広まった。今日までに禎子さんの兄・佐々木雅弘さん、甥・祐滋さんら遺族が運営するNPO法人「SADAKO LEGACY」がアメリカなどの海外9施設、国内5都市に禎子鶴を寄贈している。
茅ヶ崎への寄贈は、以前に禎子鶴が贈られたアリゾナ記念館があるハワイ州ホノルル市・郡と、茅ヶ崎市が姉妹都市だったことが縁となった。また関東では海外ほど禎子鶴の認知度が高くなく、遺族から「関東の中心となって発信してほしい」との思いを受け県内初の寄贈が実現した。
寄贈されたのは広島平和記念資料館で保管している約100羽のうちの1羽。式典では、セロハンでできた幅数センチの折鶴が、雅弘さんから服部市長へ手渡された。平和のつどいには約200人の市民らが参加。雅弘さんと市民による禎子さんと家族の思いを伝える朗読劇、祐滋さんによる歌や演奏、茅ヶ崎で振り付けをしたフラも披露された。
雅弘さんと祐滋さんは「『平和』を願う人々を繋いでいくきっかけとなることを心より願っております」とメッセージを寄せ、同委員会は「今後の平和啓発事業で”サダコストーリー”を広めていきたい」と話した。寄贈された禎子鶴は市役所本庁舎1階に展示されている。
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