謙虚さが開いた扉
○…10月下旬、右手首に巻くミサンガが切れた。「これで全国に行けるんだろうな」。1週間後の全国高校駅伝(都大路)・県予選では、エースが集う1区で区間賞を獲得。白鵬女子高を3年連続の全国へと導いた。
○…今や神奈川の高校長距離界で1、2を争う存在にまで成長したが、中学時代は無名だった。4歳上の姉の影響で入った松浪中陸上部では、県大会に行くのがやっと。その県大会で決勝には進めなかったが、予選の走りが白鵬女・佐野純顧問の目に留まった。県内屈指の強豪から声が掛かり、「不思議でした」と今でも首をかしげる。それでも、「高校で続けるなら全国で勝負したい。白鵬で強くなる」。
○…しかし中学3年の2月、体が悲鳴をあげた。腰痛が悪化し、医師には「一生走れなくなるかもしれない」とまで言われた。疲労骨折。高校進学後は、専門医のいる病院へ通い、部活では一切走らずリハビリを続けた。「みんなが走るのを見て、つらくて辞めたいとも思った。でも諦めることは嫌だった」。強い思いはランナーを再びグラウンドへと戻した。レースでもコルセットは欠かせないが、3年になると3000mで県を制し、インターハイ決勝まで登りつめた。ただ、「自分を評価することは全くない。まだまだ」。
○…部活を終え帰宅すると、「嵐」が出演するテレビ番組を満喫する。勉学での得意種目は「漢字」。負けず嫌いの性格はここでも発揮され、「満点を獲りたい」と実行に移す。憧れの選手には「高橋尚子」を挙げ、「金メダルを獲ったのにいつも謙虚だなぁ」と。
○…都大路は全国のエースが揃う1区が濃厚。「チームを勢いづける走りがしたい」。謙虚に、そして強い気持ちで新たな扉を開く。
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