3月3日、4日に気仙沼を訪問した「NPO法人ちがけせんプロジェクト」の代表を務める 日向 正篤さん 浜之郷在住 59歳
「皆を巻き込んだ支援を」
○…「人間一人でできることはたかが知れてる。だから皆を巻き込むんだ」。東日本大震災から7年。被災地である気仙沼と茅ヶ崎を結ぶ交流・支援事業を震災当初から継続的に行ってきた。今回初めて一般参加を募り、気仙沼を訪問。「震災の記憶を風化させてしまわないために、より多くの人に被災地の現状を知ってもらいたい」と訴える。
○…横浜市出身。5歳で藤沢に移り住む。父親の影響で幼稚園から乗馬をはじめ、「とにかく勉強はしなかった」と少年時代を振り返る。湘南工科大学に入学後、電子工学を学びながら、埼玉県の飯能にある馬場も通った。しかし、高額な馬の費用が賄えず、目標としていたオリンピック出場を断念。そんな折に友人に誘われて出会ったのがバイクだった。「制限速度が無いのが爽快」と一度で虜に。大学を卒業すると民間企業の契約レーシングライダーを経て独立。その後も国内外のレースで活躍し、ピアをはじめとしたスポンサーを獲得。鈴鹿8時間耐久レースで15年連続出場の快挙を成し遂げた。「自分はスーパーライダーではなく、人の力を借りるのが上手いだけ」と微笑んだ。
○…26歳のとき、美住町でバイクの整備や修理を手がけるガレージ湘南を開業。妻はその店の常連客だった。今では双子の息子と娘も大学4年生で手がかからなくなり、妻と二人で映画を観に行くことが息抜きだ。「一番のリフレッシュは気仙沼の子どもたちの笑顔を見ることだけどね」と照れ笑い。
○…2011年の震災発生からわずか9日後、「人が動くのを待ってられない」と、支援物資を携えて被災地に駆け付けた。当時被災地への思いを同じくした市内の飲食店経営者や美容師などの仲間とは、一昨年の熊本の震災でも協力して、食糧や必要とされている物資を届けた。「100年続くプロジェクトを目指して、今後も支援の輪を広げていきたい」と先を見据える。
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