新春年男インタビュー 中日ドラゴンズ山本昌投手 現役30年目 未開の地を切り開く
茅ヶ崎市松林出身の中日ドラゴンズ投手、山本昌(本名・山本昌広)さん(47)。昨シーズンは4月に球団新記録となる212勝目をマークしたことを皮切りに、シーズン終盤には213勝目を挙げセントラルリーグ最年長勝利記録を更新するなど記録尽くめの年となった。年男となる今年は現役30年目を迎え、更なる飛躍を期す山本昌投手に今シーズンの抱負や茅ヶ崎への想いを聞いた。
「30年やった人がいないので未開の地に来たなという思いです。以前は工藤公康さん(元埼玉西武ライオンズ)が2歳上で道を切り開いてくれたので僕はその後で楽をさせて頂いておりました。今は自分が先頭に立ちましたが気分的には変わりません。どこまで、限界までいけるか」と現役30年目のシーズンを前に気を引き締める。
記録尽くめの昨シーズン一時は引退を決意も
「正直、昨年の結果には納得していません。4月の調子では2ケタ勝てる勢いでしたから。プロ野球選手である以上はシーズン3勝ではだめです」と未勝利に終わった一昨年のケガを乗り越え、挑んだ昨シーズンを振り返る。
4月30日のDeNA戦では球団記録を54年ぶりに更新する212勝目をマーク。ここから波に乗ると思われたが、5月に入ると調子を落とし、長い二軍生活を強いられることに。その後はファーム(二軍試合)でも思うような成績を残せず8月には一度、引退を決意した。
しかし8月のファーム最終登板後、首脳陣から「次の登板は一軍だ」と声がかかった。「ちょっと待ってと思いましたよ。(自分の中で)引退を決意していたのに、神様にもう一度上(一軍)での先発マウンドを用意して頂けたんですね。でもこれでダメならきっぱり球団に引退を伝えようと決めていました」。一軍復帰登板となった9月8日の阪神戦では、5回1/3無失点の力投をみせた。「まぐれだったのかわかりませんが土俵際から寄り返したんでしょうかね」。この登板を足掛かりにその後は調子が上がり、引退の話は立ち消えた。10月3日の阪神戦では213勝目を挙げ、セントラルリーグ最年長勝利記録も更新した(47歳1カ月)。
さらにその後のクライマックスシリーズファーストステージ(東京ヤクルト戦)とファイナルステージ(巨人戦)にも先発登板。エース吉見一起投手などが故障で離脱する中、チームの原動力として大きく貢献した。「球団に何度か引退伺いをしましたが、『来季もプレーしてほしい』と高木監督からも言って頂けて、まだやらせて頂けるんだと感謝の気持ちが出てきました」
茅ヶ崎には今も強い思い
「茅ヶ崎と聞くと胸が躍ります。父親が選んで家を建ててくれた場所であり、市民栄誉賞も頂いているので愛着もあります」。自身はチームの本拠地、名古屋で長く生活するが、少年時代を過ごし今も当時の仲間が住む地元への思いは変わらない。「毎年オフに帰ることが楽しみでいつもスペシャルな気持ちになります。特に中学の仲間とはこうだったな、ああだったなって何年経っても昔の話になります。きつい練習をこなしてきた仲間ですからね」。小学校の時に茅ヶ崎に越してきて学校が終わるとすぐに皆で集まり自然の中で遊びに明け暮れた。「自然も多く野球をやる場所もたくさんある。僕にとっては天国のような所で、茅ヶ崎に来たからプロ野球選手になれたと思いますし、野球の地盤を固めた場所です」と笑顔で話す。
野球を通して最高の仲間を
今年で5回目を迎える少年野球大会「山本昌広杯」。湘南地区から多くのチームが参加し白球を追いかけている。「今はシーズン中で大会には行けませんが、引退したらトロフィーを自分の手で渡しに行きたいです。これも楽しみですね。子どもたちには大会を通して健康で気持ちのいい経験をしてほしい。一緒に汗を流した仲間は最高の仲間になりますから」と大会に込める思いも強い。
今季にかける気持ち
「チームが優勝することが最優先。その中でプロ野球選手は個の集団でもあるので自分の成績がしっかりともなって優勝できたというシーズンにしたい。あとはケガをせず一年間ローテーションを守ること。これができればまた来年も野球ができていると思います」。 また次なる目標となる工藤氏の224勝にあと11勝と迫る。「工藤さんからは無理だろと言われていますが、今年達成できればこれ以上の喜びはない。越えるつもりで頑張ります」とその先の大記録を見据えている。
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