「小さい頃から野球のために生きてきた。病気から戻ってこられたのも野球のおかげ」。平塚市出身で現在、立教大学野球部でプレーする安部将司さん(22歳)。大学2年生だった12年に白血病を発症。闘病生活を乗り越え、昨年3月に同大野球部に復帰した。「夢はプロ野球」。ユニフォームを泥だらけにしながら白球を追う。
松原小学校2年生の時に野球を始めた。中学時代は秦野シニアに所属し捕手として活躍していたが、高校からは外野に転向。鎌倉学園高校卒業後、よりスカウトの目に留まりやすいようにと東京六大学リーグの立教大学に進学し、野球漬けの日々を送っていた。
安部さんが病に倒れたのは大学2年生のとき。新人戦で初めてベンチ入りを果たし、大学野球に手ごたえを感じているところだった。公式戦で代打出場した翌日、一人暮らしのアパートで動けなくなり、運ばれた病院で伝えられた診断は「白血病」。映画やドラマでよく耳にする病名に、最初は唖然としたという。「一番気がかりだったのは、野球を続けられるかどうか。調べてみたら今は治る病気と書いてあった」と、一日でも早く復帰することを決めた。
発症前の大学1年の冬には81キロあった体重も、4か月の抗がん剤治療で57キロまで落ちた。運よくドナーが見つかり、2012年12月に骨髄移植に成功。しかし2か月後に合併症の肺炎が自身を襲った。このとき、両親には医者が「野球はやめたほうがいい」と告げていたことを、後から聞かされた。
「両親の方がしんどかったかもしれません」としみじみ話す。自分自身はただ前を向き「野球がやりたい。プロになりたい」という一心だった。それでも一切反対することなく、背中を押し続けてくれた両親への感謝は計り知れないという。
「ユニフォームを着るのはすべての練習メニューをこなせるようになってから」と決め、大学を一時退学し、1年間のリハビリ生活に挑んだ。「抗がん剤の副作用より、人に会えない、動けないのが辛かった」。ただ歩けるようになるだけでは足りないと、アスリートとして通用する体作りに1から取り組まなければならなかった。「どうせなら前より良い体にしようと思って」。治療中も「自分のためになることを」と、体を動かせないもどかしさや焦りをぶつけて励んだ栄養学や生理学の勉強が生かされた。
「病気から復帰して神宮大会など大きな舞台で活躍すれば、同じように病気にかかった人のことを勇気づけられるのでは」と、最後の1年にかける。療養期間があったため、学年は現在3年生。とまどいもあるが、「野球に対する姿勢から、何かを伝えられれば」と一期下の後輩たちとともに切磋琢磨する。一足先に引退した同期たちの「来年がんばれよ」の言葉には胸が熱くなった。「野球をできなかった時間が長い分、一瞬一瞬を大切にしないと。まずは大学野球で結果を残して、卒業後の進路に繋げたい」。大病を乗り越え、独立リーグや社会人、渡米することも視野に日々汗を流す。
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