『還らざる夏 二つの村の戦争と戦後 信州阿智村・平塚』を出版した 原 安治(やすじ)さん 御殿在住 76歳
「出会い」溢れる半生
○…全国一の満州開拓者を送ったとされる長野県で、NHK時代に出会った阿智村の人々の証言、自身の家族や平塚空襲の体験を記録した本を、戦後70年を迎えた昨年暮れに出版した。幼少時の出来事は断片的な記憶しかないため、空襲を体験した2人の姉から話を聞き、情景を描写。「もし日本人が戦争から何も学ばず、何の教訓も得られないのならば、われわれは永久に『満州の悲劇』の段階に止まることになるのではないか」。現在の安保法制や改憲論議の行方を憂う。
○…農家の長男として平塚で生まれ育つ。「家業を継ぐことが宿命と感じていた」と、父と同じ農業高校に進学。授業後はすぐに畑仕事に向かう日々だった。高校3年時に起きた「菅生事件」で、同校の卒業生で元共同通信記者の原寿雄氏の存在を知る。「世の中にはすごい先輩がいる。自分もなりたいと思った」。150人の生徒の中からただ1人、早稲田大に進学。卒業後はNHKに入局した。
○…長く番組制作ができたのは、想像を絶する出来事や、人との出会いがあったからこそ。著書を執筆する原点も、入局3年目で当時担当していた番組宛てに届いた、手紙の山からすべり落ちた1枚の絵はがきだった。はがきを機に阿智村の人々と交流が始まり、後に中国残留孤児の存在を世の中に知らしめた番組『NHK特集「再会」――三十五年目の大陸行』のきっかけになった。「50年前の絵はがきは、今思うと偶然ではなく、宿命だったのかもしれない」と話す。
○…佐賀県唐津市で農家を取材した時の言葉が忘れられない。「『土』という字は大地と天を表す横の2本線に対して、縦の線である命の芽が突き出ている。『工』という字は線が突き出ない。人工物に命はない。命あるものはすべて土から生まれるのだよ」。農業を大切にしないと、民族は滅びてしまう――。退職してからは父の田を耕しながら、そう切に思う。
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