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平成元年生まれの大型遊具が引退… 白鳥幼稚園 「心からありがとう、海賊船」
白鳥幼稚園(渥美直美園長/河内399)には、園庭に大型遊具「海賊船」があった。平成元年に造られて以来30年にわたり子供たちの成長を見守ってきた。しかし、老朽化に伴い昨年度をもって引退。新たな遊具の設置が現在進められている。本紙では海賊船の設置当時を知る卒園生を取材、思い出話を語ってもらった。
渥美麗さん(34)は平成2年度卒園生。年中の時に海賊船が園庭に設置された。それまでは「内向的で友達付き合いも苦手。幼稚園に行くことがあまり好きではなかった」が「海賊船ができてからはそれで遊ぶのが楽しくて、楽しくて」毎朝の登園が楽しみになった。
園児だった渥美さんにとって海賊船は「圧倒的な大きさで、園庭がまるで遊園地に思えました」。当時、朝の自由時間や昼食後の休み時間になると海賊船の前には長蛇の列ができた。「われ先にと、私も毎日駆け足でその列に並びましたね」
園児の安全第一
内向的だった渥美さんだが、色々な友達と海賊船を楽しんだり、海賊船を使った遊びを皆で考えたりするなかで、「いつの間にか社交的というか、自分の意見を人に伝えられるようになったり、友達や先生と上手に付き合えるようになりました」。
昨年10月、海賊船の引退を耳にした時、幼稚園に連絡をして遊具の入れ替えではなく、リフォームを熱望したほど。「本当に本当に引退はさびしいですが、園児の安全第一ですから、仕方ないことだ、と自分に言い聞かせています」
海賊船へ一言をお願いすると、渥美さんは「今までありがとうございましたと伝えたいです」と頭を下げた。毎年、卒園アルバムには海賊船に乗った卒園生の集合写真が掲載されてきた。「これからもずっと海賊船を忘れません」。渥美さんは笑顔で語った。
卒園生の教師3人
白鳥幼稚園には同園の卒園生で現役の教師が3人いる。下村遥さん(23)、栗田知美さん(28)、石川加奈さん(26)に、海賊船について聞いた。
「当時はとても背の高い建物に見えて、上に登るのが怖かったんです」。今では高い身長となった下村さんは、懐かしそうに振り返る。
年中から入園した下村さんは1年後、上まで登れるようになった。われ先に登ろうとする友達の手前「私だって」と見栄を張ってみせた。「じゃあ、頑張ってみよう」。クラス担任が優しい言葉で背中を押してくれた。初めて乗った海賊船からの眺めは清々しかった。
幼い下村さんは、人生で初めて自信をつかむ体験をした。「それからは、人前で歌や劇もできるようになり、友達ともより上手い関係づくりができるようになりました」
その数カ月後、下村さんは卒園を迎えた。卒園アルバムには「将来は白鳥幼稚園の先生になって、子供たちを海賊船に乗せてあげたい」と書いた。
年少クラスの担任を務めている栗田さんは「年少世代は1年の成長幅が一番大きい」と指摘する。そんな栗田さんは、海賊船を「れっきとした教材の一つ」と捉え、より良い指導方法を日々頭の中で考えている。自身が園児の時は「海賊船をおうちに見立てて遊ぶなど、今思えば想像力を養っていた」といい「私と同じような体験を子供たちにさせてあげることも私の大きな仕事」と前を向く。
AR(拡張現実)やAI(人工知能)を活用したゲームなど時代は先へ先へと進む反面、大型遊具はアナログと言える。「ですが、手足を使って服を汚しながら友達と遊ぶ機会は子供の成長に不可欠。『あそぶこと』を大切にする白鳥幼稚園のモットーは普遍です」と栗田さんは強調する。
石川さんは「保護者との信頼関係」を強調する。大型遊具で遊ぶことには、怪我がつきもの。「安全面に細心の注意を払っていても、擦り傷や時に捻挫をしたりします。保護者の方には状況を正しく報告し、信頼を頂かなければ、遊具で遊ばせることは難しいと思います」
石川さんが考える遊具を使った教育は「子供たちが『自分からやってみたい』という気持ちを私たち教師がうまく引き出すことが重要」。その上でチャレンジさせる。その過程で多少の怪我があってもやり切ることで自信を獲得してもらいたいという。自身も海賊船から多くのことを学んだからこそ、子供たちに伝えたいことは多い。
「新卒1年目は苦労の毎日でした」と振り返る石川さんだが、今では保護者からの信頼も厚い教師となった。「4月から新しい遊具に生まれ変わりますが、子供たちにとっても私たちにとってもかけがえのない存在になるのだと思います」
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