江戸時代に「中郡の大庄屋」と呼ばれた栁川家の17代目・起久雄さん宅で見つかった古文書を展示する「北金目栁川起久雄文書展〜江戸時代の金目を知ろう〜」が1月25日(土)〜3月1日(日)、平塚市博物館で開催される。栁川起久雄家古文書講読会(和田速男代表)の主催。
栁川家は代々「久右衛門」と称して、北金目村を束ねる名主だった。村役場のような役割を担い、同家には年貢米を収める蔵のほか「文書蔵」が置かれていた。文書蔵は現存し、江戸時代初期〜明治初期(1600年〜1800年代)に及ぶ古文書447点を大切に保管していた。1968年には市博物館が目録にまとめている。
古文書は同館によって50点が解読され、年貢や水利・普請など庶民の生活に密接な村政の記録であることがわかった。栁川家の親戚でもあり、地域史の掘り起しに取り組む和田代表(伊勢原市在住)が、先祖のルーツを残したいと未解読だった資料の研究に乗り出した。金目地域の歴史発掘を行う「金目エコミュージアム」のメンバーら地元住民と共に同会を立ち上げた。
展示では、15年2月〜20年1月にかけて同会が読み終えた古文書を紹介する。
「年貢米安くして」伝わる農民の声
栁川家に保管されていた古文書には、年貢の納付状況や、「あばれ川」の異名を持つ金目川の氾濫被害報告、熊野神社(現・北金目神社)の普請などが記録されており、江戸時代の金目の人々の生活が浮き彫りになった。同会の窪田一夫さん(66)は、「年貢や金目川についての文書が圧倒的に多かった。金目川の氾濫等の影響があり、どうにか年貢を安くしてほしいと『畏れながら』と何度も繰り返しながら訴えていた」と、解読作業をしながら、当時の人々の苦しみが伝わってきたという。
栁川家の親戚でもあり、地元民として積極的な活動に取り組む添田吉則さん(80)は、「初心者として参加しました。だいぶ読めるようになった。解読は連想ゲームのようで楽しい」と魅力を語る。
文書蔵に残っていたものは幕府等の役人に提出するものの控えのため、くずした文字で書いてあったり、メモ書き程度だったりと、単純に言葉を調べるだけでは意味が通らず、人の名前ですら特定が難しいものもあったという。文字の癖や筆の入り方、前後の文章から読み進め、同会メンバー7人でそれぞれ担当を割り振りながら、5年かけて50点を解読した。
金目川土手や田んぼ、神社の改修等のインフラ整備に関して、竹竿などの材料や人手がどれほど必要かを申請する見積書や設計図のほか、死んだ馬を捨てる「死馬捨場」に「もう捨てないでほしい」という土地の持ち主からクレームが入ったため、寺が土地を買い取ることになったという報告書などがあったという。
添田さんは「今も昔も思うことは変わらない。ぜひ当時の息吹を感じて」と話していた。
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