大勢あつまる所にはなるだけ行かざること―今にも通じるキーワードは、100年前も同じだった。寒川文書館が所蔵する「村田武夫家文書」(岡田)の1点。大正7年〜9年頃に流行したスペイン風邪について県が出したと思われるチラシだ。国内患者数は2300万人,死者38万人と猛威を振るい当時は「流行性感冒(はやりかぜ)」と呼ばれた。当時の横浜貿易新報にも「平塚町に流感蔓延の兆〜肺炎を併発して死亡せるものあるより町民一般に恐怖しつつあり」「相模紡績會社にては女工の罹病患者百余名に」「大磯地方の感冒流行・遊郭の全滅」といった記事が残っている。チラシにある「呼吸保護器(マスク)を用ふること」「度々含嗽(うがい)をすること」という呼びかけは今も変わらず。手洗いについては触れられていない。マスクは明治期から粉塵を防ぐために使われていたとされ、この流行を機に普及することになった。
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