いつか日の丸を背負って
○…今年3月の全国大会が3位に終わり、高校生活のラストを懸けた決勝戦。得意の背負い投げを仕掛けるが、体勢を崩されそのまま相手に抑え込まれた。「2位という結果は悔しいが、大きな実力差はなかったはず。これからの戦いはもっと気持ちを強く持たなければ」と先を見据える。
○…父の影響で6つ上の姉と4つ上の姉は柔道家。そんな2人の背中を追い、3歳で柔道着に身を包んだ。周囲と比べて体は小さく戦績も振るわなかった小学生時代。そんな中、決して体格の大きくない中学生の姉2人が全国の舞台で優勝や準優勝を勝ち取った。「自分もああやって全国で活躍したい」と、心の中で火が付いた。
○…金目中学では恩師・真田州二郎監督に学び、技術だけでなく精神面でも鍛えられた。1年の冬、県大会の優勝で自信を付け、3年の全国大会では悲願の優勝を果たした。横浜の桐蔭学園高では1年生でけがに見舞われ、2年生からは新型コロナに翻弄されながらも、元アテネ五輪代表の高松正裕顧問に師事し、世界レベルの柔道を吸収した。高校最後の全国大会は準優勝という結果に留まったが、小学生からの努力を知っている父と姉にかけられた「がんばったね」という言葉が心に染みた。
○…休日はサッカー観戦が何よりの楽しみ。もちろん湘南ベルマーレのサポーターで、中1の頃から、自身の柔道の試合にベルマーレのタオルを持ち込むほどの筋金入りだ。折しも今年はオリンピックイヤー。学校の道場では部員たちと、自宅では家族とテレビにかじりついた。「大学ではまず学生チャンピオンを獲って、いつか世界で日の丸を背負って戦う選手になる」。柔道日本勢の活躍に自分の姿を重ね合わせた。
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