平塚市博物館が公式YouTubeチャンネルで公開している、鎌倉幕府創業に関わった郷土人物を描く動画「鎌倉殿と平塚の七人」。本連載では本編動画と関連したエピソードを紹介します。
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三浦義村は、「三浦党」武士団の一族、源頼朝挙兵の時に一族を率いた三浦義澄の子です。頼朝から四代将軍藤原頼経の時代まで、三浦党の中心人物として創業期の鎌倉幕府を支えました。
平塚市内には義村が建てたと伝わる田村館の史跡があります。田村は古代から相模川の渡河点として利用されました。渡し場から西へ向かう大山道と南北幹線道路の八王子道が交差する辻(旧田村十字路)の南東側が館跡と伝えられています。まさに、水上交通と陸上交通の接点という要所ですから、義村以前から三浦氏はこの地を掌握していたと考えられます。
田村館は「田村山荘」と呼ばれ、将軍頼経は鎌倉下向の際にここに逗留したほか、安貞2(1228)年には義村の招きに応じて二泊三日の遊覧に訪れて秋の風情を楽しみます。この遊覧に先立って義村は将軍用の御所を新築し、回廊を巡らせた庭園の植栽も整備しています。遊覧には将軍以下主だった御家人が多数随行し、その中には土屋宗遠の実子左衛門尉宗光の名も見えます。義村の権威も絶頂にあった時代です。
遊覧の二日目には笠懸が催されます。笠懸は馬上から弓矢で的を射る競技ですが、神事の意味合いの強い流鏑馬に比べて実戦的であると同時に娯楽性の高いイベントです。的までの距離が長く設定されますから、観客のことも考えるとかなり広い会場が必要になります。田村館の跡地とされる街区の南側には「馬場」の字名がありますが、在りし日の田村山荘の姿を伝えているのかもしれません。
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