平塚市博物館が公式YouTubeチャンネルで公開している、鎌倉幕府創業に関わった郷土人物を描く動画「鎌倉殿と平塚の七人」。本連載では本編動画と関連したエピソードを紹介します。
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今回は平塚市博物館に所蔵されている、鎌倉時代の鉄製舌長鐙(したながあぶみ)をご紹介します。
この資料は平成16年に市民より平塚市博物館に寄贈されました。資料に添えられていた書きつけによると、資料が発見されたのは昭和15年頃、相模川に架かる馬入鉄橋の下流付近で砂利採取船による砂利採取作業中に発見されたものと記されています。馬に乗る際に両足を乗せる馬具である鐙ですが、平安時代後半から台頭してきた武士は、馬上での運動性能や安定性を高めるために足裏全体を乗せることができる「舌長鐙」を生み出しました。
この鐙は全体の形状や、透かし穴の形状から鎌倉時代のものと判断できますが、鞍から下げられたベルトに連結する鉸具(かこ=バックル)がちぎられたように欠失していますから、実際に使用されて劣化し破損したものと考えられます。実用的な道具である鐙は消耗品であり、また素材の鉄も再利用されたと思われ、鎌倉時代のものは国内に数例しか残っていないため、平成26年に平塚市指定重要文化財に指定されました。
鐙が発見された相模川下流域は近世東海道の渡河点でしたが、源平盛衰記などの読み物や吾妻鏡でも東西の往来にはここを通ることが多く、陸上交通の幹線としての歴史は平安時代末期までさかのぼります。馬入川とも呼ばれるこの区間、源頼朝の馬が川に落ちたことからこう呼ばれるようになったとの伝説があります。その真偽はさておき多くの鎌倉武士たちが馬とともに行き交ったことは間違いなく、ときには事故もあったのかもしれません。災難にあった御家人には申し訳ないですが、地域の歴史を物語る大変貴重な資料を落としてくれました。
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