平塚市スポーツ協会の会長を務める 田中 國義さん 富士見町在住 79歳
競技愛する土壌を作る
○…平塚市体育協会は2020年に創立70周年の節目を迎えたが、コロナ禍により計画していた式典等は叶わず。もどかしい思いを抱えながらも、今年3月に活動の歴史を記録した「創立70周年記念誌」を発行。4月には平塚市体育協会から名称を「平塚市スポーツ協会」に変更し、80周年に向けて新たなスタートを切った。
○…太平洋戦争中の1943年に東京で生まれた。空襲に遭い、伊勢原の祖父のもとへ疎開。縁あって平塚市富士見町に引っ越した。春日野中学校ではハンドボール部、平塚高校(現・平塚工科高校)では、バスケットボール部で汗を流した。夏合宿のたびに顔を出し、会長を務めるバスケットボール協会もバスケ部の仲間がつないでくれた縁だった。「兄と姉を早くに亡くし、一人っ子同然で育った。でもスポーツをやっていたおかげで、たくさんの人と交流を深められました」
○…スポーツ庁が公立中学校の部活動を地域のスポーツ団体等に移行する考えを示す中、「地域の競技団体の役割がさらに大切になる」と将来を見据える。同会では10年ほど前から協会独自の公認指導者制度を導入。東海大学の教授による講習会を開くなど、指導者育成に力を入れている。「従来の勝利至上主義の弊害をストップさせたい。生涯スポーツとして、子どもたちが競技に魅力を感じられる環境を作りたい」と意気込む。
○…手帳には夏の大会に出場する中学生の大会スケジュールや結果がびっしり。「僕たちができるのはスポーツに出会う入り口を用意すること」と活躍を見守る。「一人ひとりに合ったゴールを見出す中で、世界で活躍できる選手の発掘を地域でできたらうれしい」と目を細めていた。
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