平塚駅北口の「ユーユー梅屋本館」が、9月25日に閉館する。化粧品を扱う小売店として創業後に百貨店へと業態転換し、「商都平塚」を代表する商業施設として駅前に看板を掲げて115年。営業終了の日を前に、梅屋に携わってきた3人に同店との思い出を聞いた。
「梅屋品質」貫いた商いの魂
「お客様や地域からの支持があったからここまで勤めてこられた」。そう振り返るのは、百貨店時代から梅屋に勤めていた須藤敏男さん(71)と市川忠士さん(73)だ。
須藤さんは1971年に入社し、婦人服、子供服の販売仕入れを担当していた。婦人服は売り場の最大の見どころ。毎週のセールと、常に先のトレンドを提供することに尽力した。「毎回ものすごい反響で、売れる商品を常に揃えなければならない責任があった。毎週火曜に今後売り出す商品を当時の濱田純一社長にプレゼンする時間があったんだけれど、これがなかなか厳しくて」と振り返る。
市川さんは72年に入社。インテリア売り場から服飾小物の担当を経て、チラシなどの広告宣伝を担う営業企画に携わった。「食品も服飾も、目玉商品をかき集めて広告を打ち出していた」と須藤さんと顔を合わせて笑う。当時、梅屋には平塚のほかに秦野や厚木、大磯などに支店があった。「小さい支店でも『梅屋からきてるなら良い商品だ』と認めてもらえていたのが自慢だった」。梅屋品質に誇りを持ち、社員一丸で商いの精神を継承していった。
2011年の百貨店営業の終了時は大きな節目だった。須藤さんは「『梅屋がなくなったらどこで買えばいいの』と、多くの人から言われた。続けられないことをお詫びする悔しさはあった」という。
須藤さんは65歳で常勤を退職した後も監査役として働き計46年間、市川さんは70歳まで47年間梅屋に勤めた。市川さんは「悲しいけれど、お客様や取引先が梅屋の心意気に共感してくれて続けられた。感謝に尽きます」とうなずいた。
手作りが生む七夕の顔
梅屋のもう一つの顔だった「湘南ひらつか七夕まつり」の七夕飾りに制作ボランティアとして関わっていた阪本京子さん(75)は、2011年から19年まで飾り作りの総指揮を任された。動く仕掛けや模様入れと、細部まで手作りにこだわった大型飾りは存在感を放ち、多くの来場客の目を楽しませた。「毎年、これが最後かもという気持ちで制作していた。時間をかけて、ぎりぎりまで良いものになるよう全力でした」と阪本さんは振り返る。
「自分でやるなら、少し不格好でもこだわりが伝わる手作りがいい」と制作現場をけん引した。材料の大半が再利用の素材で、「服飾を包んでいたビニールや、食品売り場でいらなくなった発泡スチロールなど、社長が使っていいよと声をかけてくれた」と笑う。さらに、梅屋では毎年「吉徳の人形」がテナント出店をしていた関係で、同店から飾りの人形の着物用に、正絹の端切れが提供されていた。「これが役に立って、飾りを格調高くしてくれていたんです」
梅屋のテナント店舗の在庫が保管される倉庫内には、今までの七夕飾りで使われた人形や神輿などが置かれていた。阪本さんは「この桃太郎、かわいくできたのよ」「服は古着を再利用したな」と、飾りたちとの再会に笑みをこぼした。
まつりで掲出される飾りは、時世を反映したテーマのものが目立つなか、梅屋は西遊記、桃太郎など昔話や日本の文化をテーマとすることにこだわり続けた。2019年、梅屋が最後に制作した飾りのテーマは「梅花の宴と万葉集」。新元号「令和」の由来となった和歌で梅が詠われることから着想を得た。「第70回に掲揚できなかったのは残念ですが、『梅屋』の最後にふさわしいテーマだったと思います」
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