明治の教育者・新島襄の命日にあたる1月23日、大磯町の国道沿いにある新島襄終焉之地碑庭園で碑前祭が催された。学校法人同志社が主催。
同志社大学設立に奔走した新島は病のため明治22年の暮れから大磯の百足屋(むかでや)旅館別館で療養生活を始めたが、翌年1月23日に同地で没した。石碑は百足屋跡地に新島の門下生らが建てたもので、愛弟子の徳富蘇峰が碑文を揮毫した。
碑前祭には同志社の八田英二総長をはじめ卒業生や関係者、中崎久雄大磯町長、大磯町民ら約80人が参列。新島が亡くなった午後2時20分に黙とうを捧げ、讃美歌や献花、町詩吟連盟による詩吟と朗読で故人の遺徳を偲んだ。八田総長は参列者に感謝を述べ「新島の熱い志を継承し発展させるため、我々の英知を結集して一層の努力をしていきたい」と語った。
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