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明治150年記念連載 大磯歴史語り 第21回「加藤高明【1】」文・武井久江

公開:2019年5月1日

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加藤高明の墓
加藤高明の墓

 令和が、今日からスタートです。良い年にしていきましょう。今回は明治150年記念連載の6番目に当たります、第24代総理大臣・加藤高明についてです。実は彼も大きな時代の変動を成した人です。8人の宰相の中で、唯一三界(財界・官界・政界)を歩いて、残念なことに現役中に病気で亡くなった最初の人です。亡くなったのは大正15年、次の昭和を迎える年でした。そして彼の生まれは、万延1年(1860)1月3日生まれ、生まれも新しい年に替わって直ぐです。尾張国海東郡佐屋(現・愛西市)に尾張藩下級藩士服部重文の次男として誕生。幼名は總吉。明治3年(1870)3月、藩校の明倫堂に入校。2年後の8月に、後嗣のいなかった祖母の姉・あい子の養孫として加藤家を継ぎます。学問に秀でた子供で、12歳の時に名古屋洋学校に入り英語を学びますが、授業に満足できず1年ほどで退学し上京します。その時に名前も改名して高明になります。

 明治7年4月、義理の叔父・安井譲の勧めで東京外国語学校に入学(のちの大学予備校)を経て東京大学法学部に入学。明治14年(1881)の卒業まで首席で通しました。東京大学法学部を首席で卒業すると通例では、官僚の道にすすみますが高明は郵便汽船三菱会社に入社。この事から、彼は事あるごとに「首席卒業の法学士が前垂れになった」と世間からも揶揄されるようになります。ここで岩崎弥太郎に目を掛けられ、海運業だけでなく経済全般を学ぶ為イギリスに派遣されます。2年間ロンドン・リバプールに滞在し、その間にイギリス議会で政党政治を目の当たりにし、日本との政治の違いに驚きました。そこで、日本外交の祖ともいえる陸奥宗光とも出会い親しくなります。そして岩崎弥太郎が亡くなったことで、帰国命令が出て日本に戻ります。今回はここまで。次回は岩崎弥太郎の長女と結婚、三菱の財力を持つことになります。(敬称略)
 

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