1966年、横浜市消防局へ入局。消防隊長や訓練センター教官、消防司令を務めた。火災現場で2度の人命救助を行い、内閣総理大臣や消防庁長官から表彰も受けた。「サラリーマンはおまえに向かない」という父の勧めで就いた消防の仕事は「約40年精一杯やらせてもらい、天職だった」。叙勲受章に「家内の協力があったおかげ。家内に勲章を頂いたようなもの」と話す。
24時間に7件の火災が発生したことがあった。ホースを乾かす間もなく次の現場へ。「ホースを手繰り続けていたら、手袋の中でも指先の指紋が消えた」と振り返る。日本初の40mの高さまで届くはしご車が導入されたときは、先輩から2代目の機関員を任された。「コンピュータ制御の今のはしご車とは天と地ほどの差。非常にデリケートな車両の操作を毎日特訓し、機械にも気持ちがあると思ってウエスで大切に磨いた」
二宮育美幼稚園の送迎バスを運転する。園庭でキュウリを育てたり、ドングリを拾い集めてコマを作ったりして園児の喜ぶ顔を見られるのが楽しい毎日。
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