太平洋戦争の終結から明日8月15日で75年となるが、新型コロナウイルスのまん延は、戦争の悲惨さや平和の尊さを語り継ぐ団体の活動にも影を落としている。大磯町・二宮町の戦争被害や団体などの活動を振り返る。
大磯町
1945年7月16日の平塚空襲では、大磯・国府地区でも山王町や長者町、大磯駅や茶屋町周辺、白岩神社付近、寺坂に焼夷弾が落とされた。町郷土資料館の資料によれば、この時に38軒の家屋が焼失、女性2人・子ども6人が亡くなっている。30日にも大磯駅を標的にした空襲があり、機銃掃射や小型爆弾の投下で3人の駅職員が死亡した。この戦争における大磯地区の動員兵士は約1500人、戦死者197人、戦傷者53人だった。
毎年8月に開催されている「戦争を語り継ぐ大磯の会」は、2010年に戦後65周年を記念して第1回が開かれて以降、毎回戦争経験者を招いて戦場や捕虜収容所、空襲、原爆などの体験談を聞いて、戦争への理解を深めてきた。戦後75周年の今年も開催を予定していたが、新型コロナの流行を受けて5月に中止を決定。「苦渋の決断でした」と話す佐藤勝栄事務局長は「今の世代にとって、直接戦争を経験してきた人の話を聞くことはとても大切。来年以降も続く限り続けて、毎年8月を日本人が戦争の記憶を忘れないための月にしたい」と思いを語った。
二宮町
二宮駅南口に建つ平和と友情のシンボル「ガラスのうさぎ像」の周りに8月5日、約4万羽の千羽鶴が飾り付けられた。新型コロナの影響で例年に比べ数は減ったが、町内外の個人や学校、団体が平和への思いを千羽鶴に託して製作。村田邦子町長と町職員、町民らが装飾作業に立ち合った。
ガラスのうさぎ像は、作家の高木敏子さんが戦争体験をもとに書いた児童文学『ガラスのうさぎ』に由来する。町民と全国からの募金で1981年に像が建てられた。75年前の8月5日、米国の艦載機が二宮駅周辺を襲い、5人が犠牲となった。二宮に疎開していた高木さんは、この時の機銃掃射で父を亡くした。
千羽鶴を飾る活動は今年で11回目を数え、14日まで展示。平塚市から折り鶴を手に母親と訪れた小学5年生の双子姉妹は「家族を失った敏子ちゃんはどんなに辛かったか」「二度と戦争をしてはいけない」と話した。
戦争の記憶を後世に伝えるための「ガラスのうさぎ像平和と友情のつどい」は中止となった。
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