OISO学び塾で後藤濶について講演した 加藤 喜規さん 大磯町国府本郷在住 74歳
大磯とハワイ 歴史で結ぶ
○…「予想以上の人が興味をもってくれた」と顔を綻ばせる。明治時代に大磯からハワイへ渡り移民の労働環境改善に奔走した後藤濶について、研究の成果を披露。講演には定員の倍以上の応募があった。「生まれ育った大磯と、人生に大きな影響を与えてくれたハワイに恩返しができて嬉しい」と感慨深げに微笑む。
○…戦後まもなく、テレビなどを通じて外国の文化が流入してきた時代に育った。ドラマや西部劇で映し出される米国は、少年の心に「いつか自分の目で見たい」という夢を抱かせた。また科学技術の発展が注目された時代で、国府中学校では科学部に所属して興味の芽を育てた。高校で英語サークルを作り、工学を学んだ慶應義塾大学を卒業する頃には自然と留学先を探していた。ハワイ大学で6年学び理学博士に。帰国して大手企業で新薬の開発に従事した。関わった薬は現在も販売され続けている。定年後は医薬品の品質コンサルタントの傍ら、大学の非常勤講師も務めた。
○…都内から大磯に戻ったのは2007年。数年後、自身の留学について論文を書いていた際に、同じ23歳でハワイへ渡った後藤の存在を知った。「興味を持って調べても誰も知らない、記録も残っていない。これは放っておけないぞと」。妻と始めた調査に、やがて日米の大学講師も加わり本格的に。ハワイにも足を運んだ。大磯の調査ではついに墓碑を発見。「これだ、と感動しました」と振り返る。
○…2年ほど前に妻を亡くし、人から勧められて合唱とピアノを始めた。「楽しくて心と体にも良い」と日々練習に励む。合唱団の発表会には子どもや孫も応援に来てくれたという。「これもチャレンジ。後藤濶のように、大磯の人には進取、挑戦の気性がある」と微笑む。「過去の偉人から大磯を見直し、またハワイの多文化共生社会についても知ってもらいたい」と留学時代の友人たちから毎年届くクリスマスカードを眺めた。
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