大磯町名誉町民の澤田美喜(1901〜80年)が孤児を救済するために創設したエリザベス・サンダース・ホームの70周年記念式典が、13日に行われた。全国と海外から卒園生らが集い、「ママちゃま」と慕われた澤田美喜の功績を振り返った。
澤田美喜記念館の設立30周年も同時に祝う式典は、聖ステパノ学園海の見えるホールで開かれ、卒園生や児童、職員、関係者などが集まった。
社会福祉法人エリザベス・サンダース・ホームの宮崎道忠理事長があいさつ。来賓として出席した中崎久雄町長は「澤田美喜先生は信念と信仰に基づき、計り知れない大きな仕事をした。その思いを受け継ぎ、大磯町の子どもたちに伝えていきたい」と述べた。
「里帰り」や「きょうだいとの再会」に同窓生たちは話を弾ませ、毎年母の日にホームを訪れているというОB会会長の森博さんは「ママちゃまは父親のような存在だった」と、厳しくも深い愛情を注いだ澤田美喜との思い出を振り返った。
現在、同ホームは児童養護施設として幼児から高校生までの子どもたちが生活している。
孤児救済に尽力
澤田美喜は三菱財閥創始者の岩崎弥太郎を祖父に、3代目当主久弥の長女として生まれた。外交官で初代国連大使を務めた澤田廉三と結婚。3男1女をもうけた。夫の駐在地のブエノスアイレスや北京、パリなどに赴き、ロンドンでは孤児院で社会福祉活動に携わった。
戦後間もない1948年。進駐軍兵士と日本人女性の間に生まれた孤児を救うために、財閥解体で物納した大磯の岩崎家別荘を私財をなげうって買い戻し、乳児院を創設。ホームの名は、最初の寄付者となった英国聖公会の信徒エリザベス・サンダース女史へ敬意を払って付けられたという。
施設の子どもたちが学齢期に達すると、53年に聖ステパノ学園小学校、59年に中学校を開校した。ホームの運営に協力を求めて米国各地での講演活動や養子縁組にも奔走。80年5月12日、訪問先のスペイン・マジョルカ島で病に倒れ、78歳の生涯を閉じた。
澤田美喜記念館は、熱心なクリスチャンでもあった美喜が蒐集した隠れキリシタンの遺物を展示する施設。差別や困難を乗り越え、約2000人の子どもたちの養育に力を注ぎ続けた彼女の業績も伝えている。
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