小田原城御用米曲輪 戦国 江戸の建物跡発見 城跡研究、見直す必要も
平成22年度より史跡整備に伴う発掘調査が行われている小田原城跡の御用米曲輪(ごようまいぐるわ)。今年度の調査で礎石建(そせきだち)建物跡や瓦積塀(かわらづみべい)という土塀などが発見された。全国的にも珍しい例で、小田原城の研究において貴重な発見となる。
専門家によると、今回発見された大規模な礎石建(そせきだち)建物跡は戦国時代のものとみられている。礎石は大型の建物や重量のある建物を支えるのに使われるため、主殿クラスの主要建物があったと推測される。これまで小田原城は八幡山古郭が中心と解釈されていたため大きな発見となる。市文化財課は「新しいプロセスが発見され、小田原城跡研究についてていねいに見直す時期が来た」とコメントしている。
瓦積塀が発見されたのは天守閣のほぼ北側、天守閣に向かう園路の土塁の裾部分。幅0・9m、長さ約2m、高さ1・3m(最大)で、5m以上の長さがあったとみられる。基礎に扁平な根府川石が敷かれ、その上に瓦が19層積み上げられている。同様の塀は市内板橋の松永記念館で使用されている。立ったままで土中に埋もれ、遺跡となって発見されるのは全国的にも珍しいという。その10・4m北側にも瓦積塀が確認されたが、基礎とその上に積み上げられていたとみられる瓦が部分的に発見されたのみ。
土塁の裾には川原石を積んだ石積みがあり、土塀を結ぶように1・6m間隔で柱の跡が並んでいる。内部には小砂利が敷き詰められていることもわかった。専門家により火薬庫か宗教施設との仮説が立てられているが、「米を備蓄しておく御用米曲輪の一番奥に位置するため、祠などの宗教施設の方が有力では」と市文化財課は推測している。
小田原城の建造物は明治初期にほぼ全てが取り壊され、唯一残っていた二の丸平櫓(ひらやぐら)も関東大震災で失われている。今回確認された瓦積塀は唯一の江戸時代当時の建造物となる。
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