桜が倒れたのは2011年9月。全国各地で猛威を振るった台風15号の影響で、園庭の2本の桜のうち1本が倒れた。倒れたのは保護者が子ども達を迎えにくる、園に人が一番集まる夕方だった。しかし奇跡的にも、何にぶつかることなく倒れ、被害はなかった。椎野園長は「まるで避けるように綺麗に倒れた」と当時を振り返る。
60年以上園児たちを見守ってきた桜を「なんとか後世に伝えたい」という思いが園長らにあり、撤去の際に後々テーブルなどに使えるよう小さく切ってもらい、園の軒下で乾燥させておいた。出入りしている植木屋や小田原中の材木屋・木工など多くの人たちに相談。その中で山口製材(株)の山口健二さんが「木のぬくもりを代々伝えていける積み木はどうか」と提案してくれたのだという。山口さんは、桜のささくれが子どもの手に刺さらないよう皮を剥ぎ、ていねいにやすりがけをし、製作に取り掛かった。
品物が届いたのは今年の3月27日。桜が倒れた時に年少だった園児らがランドセルを背負って来園。「こんな風に変わったんだ」と喜びの声をあげていた。
市内浜町の小田原愛児園(望月郁文理事長)で、一昨年倒れた桜の木がテーブルや積み木に形を変え、園児たちに使われている。60年にわたり園児や保護者、地域住民の思い出が詰まった桜の再利用に、同園の椎野あい子園長は「桜の思い出を伝えていければ」と話している。
伝える桜のぬくもり
桜が植えられたのは1953年3月。その2年前に万年町(現在の浜町周辺)で発生した火災がきっかけだった。国道1号線と海の間を約3時間に渡り 燃やし尽くした万年町の大火と呼ばれる大火事で330世帯、1501人が被災した。そこで地元、愛児園を運営する宝安寺の望月正道(しょうどう)住職が当 時大火の慰問で小田原を訪れていた高松宮殿下に復興のシンボルに、と桜の植樹を依頼し、植えられたのだった。
以来桜は大事に育てられ、 園児や近隣住民を見守ってきた。春には満開の花を咲かせ、夏には強い日差しから子どもたちを守った。秋には落とした葉っぱで焼き芋大会をし、冬には裸の樹 が陽だまりをつくり子どもたちを暖かく包んだ。これまで約6千人もの園児を見送ってきた桜が倒れた事は関係者にとってあまりにも衝撃的だった。
桜が倒れた台風一過の翌日には桜との「お別れ会」が開催された。今まで見上げていた大きな樹が横たわり、子どもたちは驚いていた。「まだ温かいよ」などの声もあがっていたという。皆に愛された桜に、近隣の人や保護者も集まってきた。
椎野園長は「桜のぬくもりを代々伝えていきたい。桜のように広く大きな心を持った人になってほしい」と願いを託した。参考資料/宍倉正弘著『手から手へ』
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