連載【3】 支援の輪 手から手へ 故郷は近けれど遠きもの
小田原から南相馬へクリスマスツリーが届けられた2013年末。ツリーを囲み両市民の交流が行われた後、コミュニティ施設「浮船の里」の代表・久米静香さんに、まちを案内してもらった。
「浮船の里」は福島第一原発から約15Km、福島県南相馬市小高区にある。付近一帯は避難指示解除準備区域。住民は、昼間は自宅へ帰ることができるが、夜は再び避難場所へ戻らなければならない。
「小高は歴史のある静かなまちでね。住みやすい場所だったのよ」。運転席の久米さんが話し始める。小高区では、2016年4月に住民の帰還を目指し、現在除染作業が進められている。田んぼには未だに津波で流された車が残り、がれきも道端に寄せ集められただけの状態だ。
国道6号線を南下し、海岸沿いへ。
浪江町請戸地区。津波が、そこに住む人々のすべてを奪っていった。夏にはセイタカアワダチソウが一面に生い茂り黄色い絨毯に覆われたという場所も、今は枯草の間から船やがれきがのぞく状態。「ここからだと見えるのよ」と、久米さんの指差す先には、更地越しに福島第一原発の煙突がそびえる。被災地に広がる更地は、ただの空き地ではない。残る家の土台が物語るのは、かつてそこで暮らした人の生活の跡だ。
しばらく走ると、津波にのまれそのままになった家の玄関先に、泥をかぶり、時が止まった時計が置かれていた。長い時間直視できず目を転じると、請戸小学校の校庭には、うず高く積まれた車。「あの近くにはどうしても近寄る気になれなくて」と久米さんは遠くに目をやった。
浪江から小高に戻る道すがら、出会った住民は1人だけ。人の気配が無いまちには、呼吸も温度も感じられない。
原発事故の影響で一部区間が運転見合わせとなっている常磐線の小高駅に車を寄せた。改札脇に整然と並ぶ自転車。あの日、いつもと同じように電車に乗って向かったのは、学校か職場か。いつか持ち主が帰ることを、心から祈らずにはいられなかった。
震災直後から今までの日々を「私たちはずっと『逃げて』きた。放射能の恐怖から逃げ続けてきたの。最初は東電憎し、だったけど今はこれ以上悪いことが起きないよう頑張ってほしいと思う」。淡々と話す久米さんに、かける言葉がみつからない。家の裏手に続く桜並木の土手を見つめながら「故郷はなくなっていない。戻りたいのよ」と語る横顔は穏やかだが切なげだった。
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