神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS

語り継ぐ戦争の記憶 ―シリーズ 終戦70年【12】―

文化

公開:2015年5月16日

  • X
  • LINE
  • hatena
譲原良二さん(81)1933年生まれ 市内千代在住
譲原良二さん(81)1933年生まれ 市内千代在住

 終戦70年を迎える今年、小田原に残る戦争の記憶を人・もの・場所を介してシリーズで綴る。第12回は当時のメモと記憶を手がかりに、得意の水彩画と文章で後世に戦争を伝えようと小冊子を作成する譲原良二さん(81)。

 戦争が激化するに連れ、酒匂国民学校(現・酒匂小学校)の校庭は畑へと様変わりし、体育の授業も男子が木剣、女子はなぎなたの訓練の場となっていた。食糧難の時代。毎日腹を空かせながらの畑仕事、肥料となる児童の糞尿集め、草刈り、麦踏みなどの重労働をしていると誰からともなく歌い出す戦時歌謡が時折校庭に響いていた。だが、収穫したジャガイモやサツマイモは決して自分達の口に入ることはなかった。「勉強よりも戦争と奉仕活動が優先。生活用品、食糧も不足し、常に我慢し、必死で生き抜く日々だった」

 そんなある日、「天皇陛下がいなければこんな戦争は終わるんだ」という友人のメモが担任に見つかった。「教室内の机と椅子を後ろに寄せろ」と担任に命令され、皆の前にその児童がつまみ出された。「力任せに殴られ、蹴られる友人をただ見ているだけで、誰も止めることができなかった。あの光景は忘れられない」と苦い思い出を口にした。

 1945年7月頃は毎日のように警戒・空襲警報を聞きながらの生活。「怖い」に慣れてきていた。

 その日もいつも通り学校に登校すると空襲警報がなり、すぐに自宅へと返された。防空壕の入り口で待つ母に促され、急いで中に入った瞬間だった。飛行機の爆音とともに、これまでとは全く違う大きな爆発音に襲われた。父親がつくった自宅下の防空壕の壁は大きく揺れ、天井から大量の砂が落ちてきた。空襲警報が解除となり、外に出ると屋根に小さな穴が空いている箇所を発見。約5cmの爆弾の破片が突き刺さっていた。その破片で多くの人が負傷し、近所の友人も命を落とした。

 小冊子を通じて、「戦争は二度と起こしてはいけない」と後世に訴え続ける。
 

戦争の記憶を綴った小冊子
戦争の記憶を綴った小冊子

戦後70年 語り継ぐ戦争の記憶

タウンニュースの各発行エリアで企画・編集した関連記事まとめ

http://www.townnews.co.jp/postwar70.html

小田原・箱根・湯河原・真鶴版のローカルニュース最新6

地元の川を一斉清掃

地元の川を一斉清掃

「クリーンもりと」71人参加

4月13日

観桜地までの道を美化

観桜地までの道を美化

強羅・宮城野エリア

4月13日

尾崎一雄をめぐる

尾崎一雄をめぐる

4月21日 文学散歩、講演会

4月13日

若者の活躍を応援

小田原市

若者の活躍を応援

アイデアを募集

4月13日

ミナカ小田原が寄付

ミナカ小田原が寄付

能登半島地震の義援金

4月13日

運動の楽しさを知って

小田原サッカー協会

運動の楽しさを知って

酒匂川河川敷で体験会

4月13日

<PR>

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 4月13日0:00更新

  • 4月6日0:00更新

  • 3月30日0:00更新

小田原・箱根・湯河原・真鶴版のあっとほーむデスク一覧へ

バックナンバー最新号:2024年4月13日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook