アメリカ出身で小田原在住のフィスク・ブレットさん(42)は、太平洋戦争に関する資料を集め、友人とウェブサイトを立ち上げ、自ら戦争を題材に小説を上梓している。フィスクさんが大戦に思いを馳せ、活動を続けるのはなぜか。話を聞いた。
12月7日、アメリカ・ユタ州で生まれたフィスクさん。幼少の頃から何回となく『パールハーバーデーだね』と言われ続けた。2人の祖父が海軍に従軍したこともあり、大戦は意識せずにはいられない存在だった。
19歳の時に初めて日本の地を踏む。大阪の街並みを眺め、「50年前、なぜこの国が母国・アメリカと戦争をしたのか」。さらに詳しく知りたくなった。
調べるうち、フィリピン戦線で日本軍が起こした残虐行為の数々に触れ、「なぜ、そこまで」と理解に苦しんだ。一方で個の存在を否定され、極限状態に置かれた際の心情に触れるにつれ「自分も同じ行為を行っていたかもしれない」と思い至るようになった。
戦時下の人々の心情をどうしたら伝えられるか。思いついた方法が小説だった。2011年の処女作『潮汐の間』では、フィリピンでの悲劇と日本兵の苦悩を描いた。今年1月には、東京大空襲で被害に遭った家族をモチーフにした2作目『紅蓮の街』を発刊した。
さらにアメリカに住む友人と、写真や動画など膨大な数の資料をウェブサイトで閲覧できる『日本空襲デジタルアーカイブ』も立ち上げている。「私見は載せていない。ただ正確な情報を知って欲しい」と話す。
イラク戦争の失敗を認めている母国・アメリカについて「心強い」と語るフィスクさん。「アメリカの失敗、日本のかつての失敗を今後にどう活かすか。戦争を避けるためには、正しい歴史を知り、歴史から学ぶことが必要。間違った、美化した歴史を植え付けることは許せない」と語気を強めた。
今後は小説の他、空襲を中心に飛行機の歴史を振り返る本など「歴史」から戦争を学ぶための新作を予定している。