「最高速度は時速30Kmほど。カーブを曲がる時には少し怖いくらいですよ」。そう語るのは市内上曽我在住の山口充弘さん(39)。競技歴14年、これまでに短距離から長距離まで、数々の大会で優勝経験を持つ、車いす陸上選手だ。
元日本代表のラガーマンだった吉田義人さんに憧れ、軟式テニス部に所属しながらも、密かにラグビーのトレーニングに励んでいた城山中学時代。迷うことなく、進学先はラグビー部のある西湘高校を選んだ。
ポジションはタックルする機会が多く、パワーもスピードも求められるセンター。「球技のなかでは一番多い人数で行うチームプレー、そして体と体がぶつかりあうコンタクトプレー。ものすごくおもしろかった」。高校生活はラグビーに明け暮れ、3年の春には県でベスト16入りを果たすなど活躍した。
就職3日前に事故
高校卒業後は、アルバイトをしながらコピーライターをめざす日々。そして1999年、5年の時を経てついに念願の正社員として採用が内定した。「週末に履歴書を提出すれば正式に就職が決まる。しばらく遊べなくなるから、これが最後」と、直前の水曜日にスキー場へ出かけた。
当時流行だったスキー板より小さいスノーブレード。ジャンプ台を使って空中で技を決めようとしたその時だった。失敗してそのまま地面に落下。意識が朦朧とし、身体が動かなかった。
診断結果は背骨の脱臼粉砕骨折。脊髄が損傷していた。「ラグビーで怪我をする機会が多かったから、なんとなく自分の状態は分かった。でも、もしかしたら奇跡は起きるかなって」。だが、淡い期待は叶わず、下半身不随に。「自分がどうこうより、母子家庭だったから母に対して申し訳ない気持ちが強かった」
次々と見舞いに訪れるラグビー部時代の仲間たち。「誇りに思ってもらえる存在でありたいから」と持ち前のポジティブな姿勢は揺らぐことがなく、「スポーツを一生続けたい」と、リハビリの先生に紹介された障害者スポーツにさっそく取り組んだ。
水泳を経験した後、陸上競技に転向。2年目に出場した日本身体障害者陸上選手権大会では、100mと400mで優勝。その後も数々の大会で好成績を残し、東京マラソンの10Km車いす部門では2011年から3連覇を果たした。
ラグビー仲間が支援
現在は病院で事務として働き、勤務後に城山陸上競技場へ通う日々。練習にはラグビー部のOB会のメンバーが付き添い、トレーナーを務めるのもラグビー部の先輩。競技用の車いすは、OB会を中心とした有志によるプレゼントだ。「ラグビー仲間の助けが本当に大きかった。もともと個人競技も良いかなと思って陸上を始めたけれど、結局はチームプレーになっているのかな」
目下の目標は5年後の東京パラリンピック出場。「やるからには金メダルをめざす。負けることが嫌いなんです」と力強く語った。
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寄付12月7日 |