湘南ベルマーレフットサルクラブに選手として所属する久光重貴さん(34)。2013年に右上葉肺腺ガンが発覚して以来、治療を続けながら現役でプレーを続ける傍ら、ガンの啓発活動や同じ病気と闘う患者たちを励まそうと慰問活動なども続けている。本紙では元旦号にあたり、プレーや病気に対する想いを聞いた。
――まず、サッカーとの出会いについて教えて下さい。
「小学1年生の時、地域の父兄がボランティアで指導するチームでサッカーを始めました。太っていたので走るのが苦手で、その頃はむしろ相撲の方が得意。ただただボールを蹴るのが好きで続けていましたが、6年生の時にJリーグが誕生し、本格的にプロをめざすようになりました。それまで試合に出ることもなかったので、友達には笑われましたね。でも、憧れができたことで努力を覚え、約500人中9人の狭き門を突破して、中学からはヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)のジュニアユースに入団しました」
――中学卒業後は、強豪の帝京高校へ。サッカー選手としてのキャリアを、まさに順風満帆に積み重ねていきましたね。
「でも、3年生の時に東京都代表として出場した全国高校サッカー選手権大会でメンバー落ちしてしまいました。高校3年間、この大会のために頑張ってきたのに、すべてを失った思いでボールを蹴ることが嫌になりました」
3年のブランク
――高校卒業後の進路は。
「まず、トイレ掃除のアルバイトをしました。人の嫌がる仕事を経験すれば、その後が楽だと思ったから。その後、引越しの仕事などもしていて、お金ならば今よりも稼いでいたかもしれません。でも、生きがいは感じられなかったんです。そんな21歳のある日、知人に連れられて初めてフットサルを見に行ったのですが、そのスピードや基本技術の高さに衝撃を受け、もう一度ボールを蹴るようになりました」
――当時はまだFリーグがありませんでした。どこでプレーしていたのですか。
「今のように売れる前のナオト・インティライミさん(歌手)達と一緒にボールを蹴っている中に、日本代表の選手も来ていました。その縁がきっかけで、カスカヴェウ(ペスカドーラ町田の前身)に入りました。負けることがない強いチームで、観客の前でプレーできることも楽しく、改めて真剣にスポーツに向き合う気持ちにさせてくれたのです」
治療は怖くない
――Fリーグ創設2年目、26歳の時に町田から湘南に移籍。28歳で日本代表入りも果たしましたが、31歳で肺ガンが発覚しました。
「見つかったのは、Fリーグのメディカルチェックの場でした。自覚症状はほとんどなく、最近はトレーニングに体力がついていけなくなったなという程度。それも、年齢のせいだと思っていました」
――さらなる活躍が期待される矢先の告知。ショックも大きかったのではないでしょうか。
「治療すれば治るものだと思っていました。ちょうどリーグ開幕直前だったので、医師の先生には『いつからボールが蹴れますか?』と聞いたほど。でも、手術はできない場所で、『フットサルを続けるために、まずは生きること』と言われた言葉に、自分の置かれた状況を理解できました。チームメートには『絶対にあきらめない』と伝えましたが、中には涙する選手もいたし、自分自身、寝たらこのまま目覚めないのではないかという不安があったのも事実です」
――治療内容はどのようなものですか。
「始めは飲み薬で、ガンの進行を止める効果が1年間位あるもの。副作用を抑える薬もあるので、抗ガン剤治療は決して怖くないし、辛くもない。治療を続けながらトレーニングを積み、復帰をめざしました」
――そして翌年2月9日のホーム最終戦で再びピッチに立ち、1500人を超えるサポーターから大声援を受けました。
「前日は大雪で開催も危ぶまれたほどでしたが、アリーナには多くの人が詰めかけてくれました。治療中はサポーターから受けた励ましの言葉がいつも心にありましたし、クラブを支えてくれる2市8町の存在を強く実感しました。同じ病気で戦う人達のためにもピッチに立ち続けたいし、ピッチに立つからにはしっかりとトレーニングを積み、チームに貢献できる選手でいたいと思っています」
人生は時間ではない
――ガンになり、人生観や価値観が変わったことはありましたか。
「今まで自分自身努力はしてきたけれど、自分一人の力ではなく、色々な人の支えがあって自分がいることを知りました。また、たとえ身に悪い事が起きたとしても、それを前向きに捉えていかなければ人生がもったいない。状況は常に変わっていくものですから。子どもの頃に、下手でもサッカーが好きで負けたくないという気持ちで続けてきたからこそ今の自分があるように、自ら下を向く必要はないと思います」
――ガンの啓発や小児ガン患者の支援活動などもされているそうですね。
「小児病棟の慰問なども行っています。多くの子ども達とふれあうなかで、自分が34年間生きてこられたことは奇跡であると感じるようになりました。また、人生とは生きている時間ではなく、何をやってきたかが大事なのだとも思います。生きる時間は誰でも限られています。今の目標は選手としてできるだけ多くピッチに立ち、試合中にはできるだけ数多くボールをさわること。そして、1日でも長生きして、同じ治療を受けている人や、同じように病に苦しんでいる人たちを励ましていきたいと考えています」