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支えてきた看板込めてきた愛情 ハナマサ 小野益雄さん 杉崎とし子さん
「支えてくれた人がいるから今がある」―。創業80年を超えたハナマサにはお客様はもちろんのこと、河野利光会長の両腕となり支えてきたレジェンドと呼ぶべき2人がいる。
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水仙―。白く小柄な花弁と姿勢のいい葉、心地良い香りで存在感を醸すこの花が好きだというのは、小野益雄さん(68)。父親は花の市場、自身も自然と「将来は花の業界に」という思いがあった。
姉が嫁いだ縁で、午前は市場、午後は店を手伝った。ハナマサ1本に絞った若かりし日は、当時の米国大統領や総理大臣の滞在時に、箱根のホテル、旅館で生け込みやテーブル花、宿泊部屋の装飾を一手に担った。
振り返れば「本当にいい仕事ばかりに恵まれた」としみじみ。おもてなしの形の1つが四季折々の花。主張しすぎず”場に溶け込むように生ける”ことを心がけ、めきめきと腕を上げると、噂は広がって「うちも頼むよ」と声がかかるほど引く手数多だった。
仕事は、出来で信頼を得る。百戦錬磨の益雄さんだが「ハナマサという暖簾の下にいたからあんなにいい仕事に携われた」と決して驕ること無く今も日々の仕事に精を出す。
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仕入れたばかりの花が並ぶ店頭の奥には、慣れた手つきで仏花を束ねる女性がいた。「仏花を作らせたらうちで一番」と河野精一朗社長に言わしめるのは杉崎とし子さん(68)だ。
「花を習いたい」―。そう20代の頃に伝えた相手は会長夫人・光子さん。花の手ほどきを受けながら大繁盛店の仕事を手伝うのは自然な流れで、いつしかハナマサの一員になっていた。
彼岸の折、お供え用の仏花千束以上を任され、さらには寺院の本堂への生け込みもする。憧れた「お稽古」は今、華道家へ花材を届ける仕事として開花。納品日と量だけを聞き、取り合わせはとし子さんに一任されている。「お好みを把握し、毎週のことだから同じものは使わないように取り合わせるんです」という経験と信頼が物を言うサービスだ。
気が付けば40余年。結婚、出産をしながらも「稽古花と仏花を任せてもらったのは嬉しかった」と今日も花を愛でる。なかでも白い胡蝶蘭がお気に入り。「可憐でね。白は人が生まれてきたときと同じ。なんにも染まっていない無垢さが大好き」と目を細めた。
隆盛を築き、看板を支えてきた2人が口を揃えたのは『花が好き』という純粋な思い。「この2人がいなければ今のハナマサはない」と精一朗社長。”のこすもの”を問えば「”ハナマサ”というブランドを残したい。未来永劫に」という。
ハナマサは時代の変化に柔軟に対応しながら、花という命ある自然の結晶で文化を紡いでいく。80年の確固たる技術を込めて。
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こどもタウンニュースけんせい4月18日 |
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